311から二年の宮城・福島(1) 先が見えない被災地
一年前の3月11日に「ITで日本を元気に!」チームで宮城・福島に足を運んだが、この3月10日に再び被災した沿岸部を、仙台駅→石巻→東松島→閖上→山元→相馬→南相馬→飯館→福島駅とまわってきた。
[参考]昨年の様子by小生のブログ:
「ITで日本を元気に!」311宮城・福島にて(1) 石巻
「ITで日本を元気に!」311宮城・福島にて(2) 集まり・供養する@宮城
「ITで日本を元気に!」311宮城・福島にて(3) 進まない復旧
「ITで日本を元気に!」311宮城・福島にて(4) 心痛の福島
起業家/トライボッドワークス社長・佐々木賢一団長と三十数名でまわり、不足している情報発信を自らの手で行う。3/10早朝、仙台駅前にて。
まず、石巻へ。
石巻市立門脇小学校 象徴的な場所です。TVクルーも来ていました。
門脇小学校横の墓地。壊れたお墓が一部散乱してます。3/10日曜のこの日、家族でお参りに来ている姿もみられました。
門脇小学校の前に広がる光景。修復された病院くらいで、あとは空き地のまま。もとは住宅など建物がたくさん・・・今後の計画は未定(公園の案があるとか)。もっと早く計画すべきと思います。
次は東松島。
ここも広大な空き地。一年前より、随分かたづいてます。が、まだ取り壊していない損壊住宅がいくつか。二年も放置とは・・・法律の整備がされていないから、既存の法のままで、所有者がイヤと言ったら手が着けられないのです。いずれにせよ、この広大な土地をどうするか決めて行動すべきかと。
311の被災で、住宅全壊 128,801、避難 315,196人ですが、住宅の設置がまるで進んでません。数万戸を建てるという政府の言はありますが、まだ100戸もできていない。目途もたっていない。それどころか、仮設住宅もピンチ…用地は無償で借りているそうですが、地主の一部は用地の提供を中断したいとか。いったいどうするんでしょう。
次は名取市の閖上
閖上湊神社(日和山富士主姫神社)で供養に人々が訪れてました
湊神社から見下ろした光景
上の写真と180度の反対で湊神社から見下ろした光景。とにかくまわり一帯が流されたのです。二年後のいま、何もありません(道沿いに灯篭は置かれていますが)。
ここに至る1km強にわたり、全国からよせられた五千の灯籠が置かれていました
こういうことも意味はあります。別の話ですが、「ITで日本を元気に!」メンバーで震災直後に避難所の小学生の面倒をみた方がいます。当時は、ストレスを貯めた子供たちは暴力的で、大変だったそうです。それを見ていた中高生がいまではボランティアをしています。小さい子にとっても、そういった学生たちにとっても、小さいことかもしれませんが、つながって行動して、というのは意味があると思います。
ここから仙台空港への途中に、新築あるいは建築中の家屋がいくつかみられました。こんなところにいま家を建ててどうするんだ、と驚いてしまいました。想像するに、先がみえないから、もう待っていられないと、もともと家があったところに建てているのかと。でも、こんななにもないところに建てたら、あとで困るでしょう。また、この一帯を新たな構想で再開発するときに、障害になるかもです。だけど、もう二年。確たる先のプランが示されなければ、心理的には人はこうした行動をとってしまいます。
安倍総理は「復興は時間勝負です」と昨日言いましたが、本当にそうです。
復興は時間かけると人は去る。こんな状況では、
・個人・家族の将来プランができない
・住むところの展望が持てない
・これからの仕事をどうするか定めにくい
だから、各地からの人口流出はもっと進むでしょう。お互い不幸なことです。
陸前高田の一本松をモニュメントにといったことが進められてますが、そんなことやってる場合じゃないだろ、と現地の方は怒り、あきれています。小生も近年resilience=再起力について研究していますが、人は helpless=あきらめ/お手上げ と思ったらマズイのです。しかし、現実にそうなりつつあります。
でも、政府や自治体を批判して責めるだけでは、何も解決しないでしょう。一人ひとりが感じたとおりに行動することが大切ではないでしょうか。
みなさんは、どう思いますか?
<参考>
林さんのブログ「震災から2年経った被災地の「今」を「ITで日本を元気にする!」メンバーで伝えること」
被災地をまわった翌日の3/11に仙台でイベントをやりました『「震災から2年 東北は変わったか?変われるのか?」 ~東北の発展のため我々は何をすべきか/何ができるか考えよう~』
その模様も林さんのブログに「『「震災から2年 東北は変わったか?変われるのか?」~東北の発展のため我々は何をすべきか/何ができるか考えよう~』に参加して」