南三陸で被災の小学生の話に心を打たれました
311災害支援を行う「ITで日本を元気に!」で出会った人から見聞きしたことの二回目。最も心を打ったことの一つ…南三陸町で被災した家族の話を小学生の娘さんからききました(以下にYouTube動画を)。
11/21のブログ|被災地に行ったことがない人はゼヒ行こう!震災支援フェーズ2 (II)でも記した:
夕食前に佐々木さん親子にお話しいただいた…3.11のまさに被災時の現場のこと、そこで必死にたたかう父を待つ家族のこと、ともに胸を打ってやまない話でした。特に小6の娘さんの言葉は、報道のように人の手を介して編集されたものではなく、子供ならではの見たまま、感じたままの直接的な表現で、いま思い出しても涙が出てきます。
なお、この娘さんの話だけだど、脈絡が分からず理解が不足するところもあるかもしれないので、まず若干の基礎知識を。
河北新報の記事から
結婚式場が、大震災が起きた時に参列者全員を帰さず、屋上に津波避難させて助かる。宮城県南三陸町
写真説明1。 高野会館の屋上まで水が押し寄せ、建物最上部に移動する避難者ら=3月11日午後3時40分ごろ(従業員提供)
写真説明22。 330人を救った高野会館の屋上。中央奥に見えるのが公立志津川病院=19日、宮城県南三陸町志津川
志津川湾から約300メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の総合結婚式場「高野会館」。震災時、利用客や従業員ら約330人は会館にとどまった。「帰したら、津波で危険だ」。避難誘導に当たった従業員らのとっさの判断が、全員の命を救った。
◎「生きたかったら残れ」/従業員ら仁王立ち
会館を出ようと、ロビーに殺到した人だかりが歩みを止めた。階段の前で、従業員らが大きく手を広げ、仁王立ちになって行く手を遮っていた。
「生きたかったら、ここに残れ」。男性の怒鳴り声が響いた。
「頑丈なこの会館が崩壊するなら町は全滅する」。同会館営業部長の佐藤由成さん(64)は、1988年の開館当初から勤務。設計段階から知り尽くした建物の強度に自信を持っていた。
「お年寄りの足では途中で津波に遭遇してしまう」と判断したのは町社会福祉協議会総務課長の猪又隆弘さん(52)。経験と利用客の状況を踏まえ、4階建ての会館にとどまるのが最善と考えた。
地震発生時、3階の宴会場は老人クラブによる「高齢者芸能発表会」の閉会式のさなか。強烈な横揺れに大勢の客はパニック状態になった。
1階にいたマネジャーの高野志つ子さん(67)が階段を駆け上がると、従業員らが来館者を上階に誘導するのが見えた。
最高齢90代後半、平均80歳前後。来館者の避難は困難を極めた。
「早ぐ上がって、早ぐ上がって」。営業課長の西條正喜さん(44)は列の最後尾で追い立てた。階段は人でびっしり。「このままでは津波にのまれる」。体力のある人がお年寄りを背負った。
町社協老人クラブ担当の佐々木真さん(39)は4階への階段を上りながら、背後に津波を感じた。ガチャン、バキバキ。1階の窓ガラスが割れ、2階にもがれきが流れ込んだのが音で分かった。3階を振り返ると、ロビーの窓ガラスを大量の水が突き破った。足元もぬれていた。
屋上には既に水が押し寄せていた。水位は膝まである。「ここもだめか」。西條さんと佐々木さんらは、普段人が入らないエレベーター室や高架水槽などがある会館最上部へ避難誘導を急いだ。
四方を水で囲まれた会館はまるで孤島のようだった。佐藤さんの手帳には津波の記録が残る。
<午後3時26分、第1波。40分、引き始め>
<4時13分、第2波。28分、引き方開始>
<5時、第3波。10分、引き波開始>
そう書いたところで手が止まった。2キロ弱先の荒島までの海底が姿を現している。
「次の波が来たらみんな死んでしまう」。スーツの内ポケットに手帳を仕舞い、ボタンを掛けた。自分が流されても記録は残るように―。
佐藤さんの記録によると、第4波は午後5時32分に襲来。屋上までには到達しなかった。
会館に孤立したのは約330人。4階にある約25平方メートルと約30平方メートルの会議室二つは人であふれ、廊下や更衣室まで埋め尽くされた。
室内は人いきれで息苦しいほどだった。深夜、80代の女性が意識もうろうとなった。
「脳梗塞の疑いがある」と町社協の看護師。佐藤さんは最上部に上がり、公立志津川病院へ向かって大声で呼び掛けた。
「先生、倒れている女性がいます。波が引いたら、そちらで診ていただけませんか」
医師とみられる男性の声が返ってきた。「こちらは薬も電気もない。7人が亡くなりました」
風通しのよい場所で寝かせるよう助言された佐藤さんは、全員に屋上に出るよう促した。「外の空気吸ってきてけさい」。10分ほどの短時間だったが、室内に外気が入ると女性は持ち直した。
職員らの判断と機転。会館で命拾いしたお年寄りは口をそろえて言う。「よく生きていられた。従業員らの指示に従い会館に残ってよかった」(村上俊、渡辺龍)
中央(奥)が高野会館
佐々木さんの娘さんの朗読ビデオ
東京で、被災地の話を聞くなら子供たちだ、と言ってもなかなか分かってはもらえません。でも、この佐々木さんの娘さんやBeyond Tomorrowの中高生たちの話をためしに生で聞いてみてください・・・きっと思わぬほどに心がゆり動かされるはずです。
南三陸に行くことがあれば(まだ遅くないです、行ってみることをお勧めします)、佐々木さんの「居酒屋さとみ」に立ち寄ってみてはいかがでしょう?
河北新報:被災居酒屋、仮店舗で再開「変わらぬ温かさ出す」 南三陸
参考記事:88stories ~私と仕事 震災を経験した88の物語~
「#2-1 雪空の下、ビルの屋上で一夜を過ごした」
「#2-2 避難所で暮らす「顔が見える知り合い」たち。だからこそ、プライベートはなかった」
「#2-3 居酒屋なのに、弁当の注文が殺到 「動き始めると、なんとかなる」」
「#2-4 被災地に、居酒屋は必要か」
その他、南三陸の記録・書籍
南三陸町を襲った大津波の証言
大津波からどう逃げるのか 検証3・11の避難行動(河北新報) - WEB新書
YouTube: 南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku