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働きがいと、時給650円のバイト

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働きがいと時給650円のバイト

最近、社員がイキイキと働ける環境、コンサルタントが目を輝かせて仕事できる環境を作りたくて四苦八苦している。

そんな折、色々なご縁で、ネッツトヨタ南国の横田英毅さん、元ソニー上席常務の天下伺朗さんのセミナーにお邪魔した。横田さんがどれだけ人に軸足を置いた経営をしているのか、書籍で知っていたが、生で聞くとやっぱりおもしろかった。

横田さんは、
金銭的な報酬や地位や評価を与えるのは一時的な満足しか引き出せない。
幸せに働くには、認められ、必要とされ、感謝され、自由にチャレンジできる環境が必要だ
とおっしゃっていた。

利己的に満足を求めると、幸せは遠ざかる。利他的であれと。



これはとても良くわかる。金銭や物的な欲求は満たされると次が欲しくなる。際限がなくなる。
それよりずっと大事な物があり、そこが上手くいくと長くイキイキと働ける。
お二人の話を聞きながら、この感覚をずーっと昔に経験していた事に気が付いた。

高校、大学時代にマクドナルドでバイトをしていた時の経験だ。
僕の金銭以外の目的で活き活きと働く原体験はここにあった。
当時どんな状況だったのか、何が活き活きとした職場を生み出していたのか、その辺の話を備忘的に書き留めておこうと思う。

※今回のブログは取り留めがない話なので、興味がある方だけどうぞ(汗



千葉の片田舎、マクドナルでのバイトが話の舞台

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かれこれ20年も前の話。千葉の片田舎のごく小さいマクドナルド(直営ではなく、オーナーがやっているフランチャイズだった)でバイトをしていた。そこはやたらと働きがいがあって、みんなが活き活きバイトをしていた。当時のバイト仲間は、20年経った今、ビジネスの世界でめちゃめちゃ活躍している。
ちょっと例を挙げるだけでも、
・三菱商事の課長
・キーエンスの営業部長
・マレーシアで事業やっている社長
・コンサルティングファームのディレクター
・税理士
・一級建築士
・気球屋さん
・・

千葉の片田舎のマックにたまたまバイトで集まった同世代、と考えるとなんと活躍していることかと思う。
当時、活き活き働く楽しさを知れたから、社会に出ても活躍しているのかもしれない。なんて思う。もしかして、人材輩出企業ならぬ人材輩出バイト先だったのか?(笑

当時のことを振り返ってみると色々驚くことがある。

バイト代は当時の世の中の最低時給650円。
今では考えられない低賃金だけど、仲間達は毎日バイト先に入り浸って、自発的に色んな仕事をしていた。とても仕事を楽しんでいた。

思い出しながら当時の状況を書いてみる。

当時どんな状況だったのか

・みんな自分の得意領域を持っていた
マックにはいろんな仕事があった。
ポテター、ドレス、バンズ、PC、フライヤー、カウンター、シンク、メンテ、フィフタリング、グリスト・・・。挙げるとキリがない。
様々な仕事があるなかで、それぞれが「この仕事が好きだ!」「この仕事なら負けない」という領域を持っていた。
得意領域というか、活躍できる領域があったのだ。こだわりの領域と言っても良い。

ポテトが得意なやつ
シンクが得意なやつ
バンズが好きなやつ

それぞれが認められていて、「ポテトいえばやっぱり豊だよなー」「ドレスのスピードは亮よね」なんて会話が出てくる。
マックに入りたてのメンバーは「豊さん、ポテトのコツ教えてくださいよ。一発でピシャリと入れてくるなんて信じられないっす」なんて。

例えば、「ゴミ搬」というゴミ出しの仕事ですら、一回にどのくらいの量を出せるかなんて競っていたものだ。
普通は汚い、臭いと言われるような仕事だろう。(今思うとマジで)でも、それすらこだわってやっているやつがいた。
どうやって楽しもうか、より良くしようか考えているやつがいた。
「アレだけ大量にごみあったのに、たった二往復?すごいじゃん!」なんて会話も。

例えば、シンクのグリーストラップ(油を除去する排水口)の掃除が毎週あるのだが、それがまぁ汚い。そして臭い。
そんな仕事でも、こだわってる奴がいた。しかも歴代グリーストラップの番人みたいな人までいるのだ。
「この仕事をいい加減にやると、油が詰まって営業中に洪水になるんだ。ちゃんと奥まで手を突っ込んで、ここまで油を掻き出さないとダメなんだ!」と。
まぁ、周りの仲間はやりたくないからお任せしていた。でもグリストの仕事を見下していたわけではなく、
「その仕事は好きじゃないけど、その仕事の大事さはわかる。そしてその仕事を誰よりもスーパーにこなす飯田さん、すげーよな。こだわり過ぎてウケるけど(笑」という感じで見ていた。

つまり、異なる価値観を持ってこだわって働く仲間に敬意を払っていた。
そしてこだわって働く事を、皆楽しんでいたのだと思う。

ちなみに僕は、店のクローズ作業を徹底的に効率化する事にめちゃこだわっていた。
お客さんへのサービスクオリティを落とさずにどうやって素早く店を閉めるか。クローズ作業が早く終われば、店を閉めているチームは早くバイトから解放されるからだ。「今日の終了目標は22時10分にしよう!」なんて言って、しょっちゅう皆でチャレンジしていた。


・自分より上のタイトルには、自分より仕事ができる奴しかいなかった
バイトには役職がついていた。Cクルー、Bクルー、Aクルー、なんて役職だった気がする。
タイトルが上がると時給も上がるのだが、これは絶対評価だった。
よくある日本企業のように相対評価ではない。タイトルUPするもしないもすべては自分次第だった。
上位職には、自分より仕事のできる人しかない。これが気持ちよかった。
だから、タイトルが上がると時給は上がるが、なんというか、それ以上に「Aクルーとして認められた」という感覚が誇らしかった。


・利他的な価値観が自然だった
そして評価の項目の中には、「店に貢献している」「バイトの育成に貢献している」という項目もあった気がする。
店のためになにかやる。人を育てるために何かやる。という行動が当たり前のように評価されていた。
だから「自分の仕事しかやらない」人はほとんどいなかった。(実際はいたのかもしれないが20年も経って多少美化されているのかもしれない・・・)
利他的な価値観(他者に利益になる事を進んでやることが良しという価値観)が当たり前だった。
自分のことをさっさと終わらせて、他のところにヘルプに入るヤツがカッコイイと思われていた。少なくても僕はそう思っていた。
助けられる人でなく、助ける人になりたい。と。僕もどうやって他の支援をしようかと考えていたものだ。


・時間外で皆が好きなことをやっていた
当時は、時給を貰っていない時間外でいろんなことをやっていた。
若手のトレーニングマニュアルを更新したり、
在庫が置かれているバックヤードを大掃除をしたり、なんてしょっちゅう。

大掛かりなものになると、クリスマスパーティがあった。
カウンターのチームは、毎年子供達を呼んでクリスマスパーティをやっていた。
別に誰かにやれって命令されたワケけじゃない。誰かがやろうと言い出して、それいいね!となり、バイトが勝手に続けている取り組みだった。
だから、実際に子供達とパーティをしている時間はバイト代が出るが、準備の時間は無給だった。今思うとそれはそれでどうよ?と思うけど、カウンターのチームはみんな楽しそうに働いていた。
そして、クリスマスパーティを仕切るメンバーは、バイトの中でもエース級のメンバーだった。
店の顔みたいなもんだから、そりゃそうだろう。若いメンバーは、キラキラの笑顔でパーティの準備をするデキるお姉さん達をみて、「いつかあんな風になりたい」と思っていたようだった。それくらい無給でパーティの準備をするメンバーは傍から見ていてもイキイキしていた。

もっと日常的な話もある。
シフトが入ってなくても、店のクロージングを手伝いにいくことがよくあった。
店を閉めていると誰かがふらりと遊びに来て、仕事を手伝ってくれる。その後みんなで飯に行ったり、遊びに行ったり。
タダで店のクロージングを手伝うから「タダクロ」という名称で呼ばれていた。今考えると名称が作くらい常態化していたのだろう。
でも、誰も強制などされてない。好きでやっていたのだ。誰かがタダクロに来るとちょっとしたお祭りみたいになって楽しかった。

駅前に店があったから、帰りがけにフラッと店に寄るやつが多かった。
日中でもふらりと立ち寄って、本社から送られてくる最新の情報に目を通したり、仲間と雑談したりしていたり、第2の家みたいになっていた。


・他のバイトでは得られない何かがあった
僕はバイト時給が安すぎるので、何度か他のバイトをしてみたことがある。
マックの1.5倍くらい出してくれる倉庫のバイトとか、引っ越しのバイトとか。でも、どれも恐ろしくつまらなくて続かなかった。
時給が良くても全然楽しくなかった。まるで労役のようだった。
でもマックはそうじゃなかった。時給は恐ろしく安いけど、なんだか楽しかった。


みんな活き活きしていた。そしてその時代を共に過ごした人達は社会に出ても活躍している。楽しそうに仕事をしている。
当時は当たり前だと思っていたけど、普通じゃなかったのかもしれない。これってなんなんだろうか?



時給650円なのに、なぜこんな雰囲気の職場が生まれたのか?

原因をいくつか考えてみる。よく考えると今の日本の企業と随分違いがある気がする。

・いい意味で完全放置
50人くらいのバイトに対して社員は2人。店を開けるのも、閉めるのも、売り上げを入金するのも全部バイト。
新人を育成するのもバイト、育成のカリュラムを考えるのもバイト。クレームに対応するのもバイト。
とにかく社員が少ないから、アレやれコレやれなんて言われない。マイクロマネジメントなんてできない。
だから、みんな自主的に好き勝手なことをやっていた。

発案したことを否定されることもまず無い。やってみたら?と。そもそも何かをやるのに許可を貰った記憶がほとんど無い。
特に時間外の活動は、全くの放置。そりゃそうだよね。
でも、普通の会社はそうじゃない。細かく行動を管理しようとする。


・ネガティブなフィードバックはほとんどない
ミスした理由を問いただしたり、 叱責する文化はなかった。ミスはよくあった。テイクアウトで商品を入れ忘れてしまうケース。よくあった・・・。
でも誰も叱責したりはしない。フォローし、一緒に再発防止を考える。
なぜなのかよくわからない。でも、叱責しなくても、追求しなくても、ミスしたことは自分で自覚できた。
皆がフォローしてくれるから余計に響いた。
あ、俺、イケてなかたったな・・・。みんなに迷惑かけちまった。クソ。という感覚があった。

だから自発的に成長しよう、能力を上げよう、と思えていたように思う。
外からプレッシャーを掛けられなくても、自分でプレッシャーを掛けていた。(横田さんがまさに、この話をしていた)
これはうまく言えないが、健全な成長をもたらしていた気がする。
でも、多くの企業はそうじゃない。
叱責と追求が日常の会社も多い。叱責で人は成長するのだろうか?自分で気付いて努力するほうが楽しいし伸びるんじゃないか。


・複数のタスクがあって、仕事を選べた
シフトの時間も、タスクも選べた。ポテトが好きなヤツはポテトを中心に仕事をすることも出来た。
昼のピーク時のお祭り騒ぎが好きなやつも、アイドルタイムののんびりした雰囲気が好きなやつも、自分で選べた。
苦手な仕事は積極的にやらなくても良かった。他に得意なやつがいれば任せて、もっとパフォーマンスが出せるところ、楽しいところで仕事をすればよかった。

一方で、もっと難易度の高い仕事がしたければ、スキルを身につけさえすればやらせてくれる。
だから、仕事がつまらないなら、自分で楽しいと思える仕事にチャレンジすればよかった。
僕は実際、店を閉めるクローズの仕事がしたくて、先輩にトレーニングしてもらった。
強制的にやらさせる仕事、それしかやっちゃダメ、みたない状況はほとんどなかった。
普通の会社は、仕事が与えられ、苦手だろうが嫌いだろうがやるしかない。
マックでは、一通り仕事は覚えるけど、最低限仕事をこなせるようにはしておくけど、後は好きな領域で貢献すればよかった。
だから自然と自分の興味のある領域に多くの時間を割いていた。
興味のある領域だからパフォーマンスも上がる。
いずれ第一人者として認められる。
さらに色々工夫したくなる。
というサイクルが回っていたのかもしれない。


・結局「何を目指しているのか」が明確だった
お客さんにタイムリーに良い商品を提供する、それもできるだけ効率よく。そしてお客さんに笑顔になってもらいたい。
というミッションが明確だった。別に明示的に掲げられていたわけじゃないけど、みんな暗黙的にわかっていた。
決まったメニューを提供するマックだからそりゃそうか。

でも、目指すところが明確だったから、そのために何をすればよいか、店をどんな状態に保てばいいか、各自が勝手に考えられる状況にあったのかもしれない。
「言われた事しかやらない」というが、最終的に何を目指しているかわからないのに、自発的に動けるわけない。
言われた事以上のことをやるには、明確な目的意識が必要だ。と最近思うのだが、自律性を引き出すためには、目指す姿の共有化が絶対条件。
マックのケースは何もしなくてもわかりやすい目指す姿があったのかもしれない。


・集まったメンバーの価値観がわりと揃っていた
バイトは金を稼ぐ手段。ってヤツはいなかった。そもそも時給650円じゃ稼げない(笑
金ではない何かに価値を見出していた連中が集まっていた。(厳密に言うと、稼ぎを大事にする人達は入ってこなかった)
金以外の何か。それが何なのかは人によって違っていた。貢献している感覚、所属している感覚、仲間といる感覚。仲間たちは超絶個性的だったが、根っこの価値観は一緒だったように思う。

普通の企業で、給料以外の働く価値を見出している人はどのくらいいるのだろうか?


・程よい競争があった
程よい、というのがポイントだ。もちろん、成績を数字で書き出したりなんかしてない。
「あの人の様にかっこよく仕事が回せる様になりたい」
「同期のあいつはポテトがすごいから、俺はドレスで活躍するぜ」という競争だ。
30分あたりの売上高を競っていたこともあった。「やっくんと、松と、まゆきのメンバーでxx万も売り上げたらしいぜ?やるなー。今日のランチピークで、挑戦してみるか?」とか。

自分たちで面白がって競争環境を作っていたのかもしれない。誰かに与えられた競争ではなかったから楽しかったのかも。


・憧れの先輩がいた
俺にはできない仕事をあっさりやる先輩
後輩のミスをさらっとカバーする先輩
新人を上手に育成する先輩
お客さんをキラキラの笑顔で接客する先輩
そんな先輩達はプライベートもかっこよかったから、なおのこと「あんな風になりてーなー」と素直に思えた。いまでも当時の先輩たちに会うとウキウキする。

普通の会社で、こんな風に思える先輩がどのくらいいるのか?


・仕事を楽しもうとしていた
単調な仕事だったからかもしれないが、1つ1つの仕事をどうせなら楽しもうとしていた。
面白がっていた様に思う。
「見ろ、このピカピカのグリルを!」とか言って肉を焼く鉄板を独自の方法でピッカピカにするヤツもいた。


・プライベートでめちゃめちゃ仲が良かった
年中みんなで遊んでいた。この時期、高校の同級生や家族より、バイト仲間と一緒にいた時間が圧倒的に多かったと思う。
(今思うと)プライベートでめちゃ仲良かったから、仕事で言いたいことをストレートに言えたのかもしれない。
(今思うと)人間的に好きな人ばかりだったから、自然とフォローしたいなと思えたのかもしれない。


・「ありがとう」と言うのが当たり前の環境だった
マックでは「xxプリーズ(xxお願いします。xx作って。xxやって。)」「サンキュー」というやり取りが普通。
今思うとかなり不思議なやり取りだが「サンキュー」が死ぬほど飛び交っていた。
だからなのかよくわからないが、当時「ありがとう」は自然だった。
だからなのかよくわからないが、僕は今でも「ありがとう」とかなり口に出して言う。
今振り返ると「ありがとう」と言われたかったし、同じくらい、「ありがとう」と言いたかった様に思う。


という感じだろうか。

殴り書きの様になってしまったが、普通の企業ではナカナカお目にかかれない状況が僕のバイト先では当たり前になっていたようだ。
世間では「マックはマニュアルの文化」と思われているかもしれないが、むしろ全く反対だった。
最低限の事はマニュアルで統制しているが、一歩そこから出ると、何も管理されていない。自分たちで考える世界だった。
最低限の事がマニュアルで統制されている、というのは言い換えると、それさえ守っておけば何をしても良いということでもある。
キッチリマニュアル化されている範囲が明確だから、むしろ自由度が高まったのかもしれない。最も、単にフランチャイズ店でいろんなことがゆるゆるだったのかもしれないが。

ちなみにオーナー兼店長は、鈴木さんというのだが、ほとんど店には来なかった。
たまにくると、適当な接客をするので、バイト達から「店長、後ろに下がっててください!」なんて言われていた。(いや、本当にすごい人なんですけどね。接客はアレでした)今思うとかなり面白い状況だ。

こうして振り返ってみると、この経験が僕の原体験になっているのは間違いないらしい。
時給650円はどうかと思うけど、振り返ってみて「やっぱり働きがいは金じゃない」と確信している。
あのバイトは間違いなく楽しかった。どこにでもあるマックなのに働きがいがあった。

そんなバイト先も、色々あって今はもう、ない。(だから美化されているのかもしれないが)


自分のチームや会社が、金じゃない価値観を大事にしてイキイキと働けていたら。みんなが自分なりの個性を発揮して、認め合える環境で仕事ができたら。そして、その結果として沢山給料がもらえたら最高だなと思う。

田舎のどこにでもあるようなありふれたマックで、学生が運営しているようなマックで実現できたのだから、今の僕に実現出来ないわけがない(と自分を鼓舞してみる)。「これをやれば働きがいが高まる」という変革方法論にはまだ落とせていないが、もう一息な気がする。バイト時代のことを振り返ったことで、大事な要素は少しだけ言語化で来た気もする。ウチの会社、ケンブリッジでも同じ部分も結構ある。例えば「上には、自分よりデキる人しかいない」とか「絶対評価」とか。

実際、ケンブリッジは良いところまで来ている。働きがいのある会社ランキング、2年連続2位はきっと伊達じゃない。今年はどうだろうか。

さぁ、今日も楽しんで仕事をしよう。

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