オルタナティブ・ブログ > オルタナティブ☆ハシモト >

橋本正徳の非営利な活動を報告します

引き出しを増やす努力

»

3120161590_9e31d7cefb_2

今はそんなことはないらしが、僕が昔に出会った(ご高齢の)銀座のママさんから伺ったお話。

大人の社交場「クラブ」などには「同伴出勤」という、店外で待ち合わせをしてから一緒に入店するシステムがある。「なんだそれは?」と思われてしまうかもしれないが、古くからの文化でもある。大抵の場合、一緒に食事をするのがパターンだそうだ。内容はともあれ、結構なお金を払うことになるのだが、その分、満足度が上がる・・・という事らしい(ということにする 笑)。

さて、その「同伴出勤」のとき、その銀座のママさんは、相手との待ち合わせの場所に行く前に、まず、その食事をする店に行き、お店の人にいろいろとお願い事をする。例えば「一番良い席を、それとなく案内してもらうように」などのお願いだ。最後に、「後ほど、私の大事なお客様と来ますのでよろしくお願いいたします。」みたいなことを伝えて、待ち合わせ場所に向かっていた。もちろん、聞いた話なので、彼女自身が過去をある程度美化しているのかもしれないが、こんな話は、疑うより信じた方がためになる。本当ならば、まさに「サービス業の鏡」だ。さらに、彼女は、新聞数紙に目を通し、時事を勉強して、お客さんにより良い接待、会話ができるようにもしていたとのことだ。お客さんとの会話を理解し、より楽しく時間を過ごしていただくために、そのように「会話の引出し」を準備するのだろう。

もう、10年以上も前になるが、10代後半の僕は、素晴らしく熱心な少年だったので、その銀座のママの話しを聞いたり、また、親方からも言われてたのもありで、とにかく沢山の情報を耳にしていた。情報源は、新聞など取るお金もなかったので、ラジオ。バーの清掃をしながら、店内でラジオを流し、その日に起きた時事的なネタを仕入れていた。「会話の引出し」を増やす努力というのは、大人の社交をする上では、非常に大事なものだと感じていたし、今も思っている。別に、自分のことを知的に見せるためではなく、相手の話しを理解し、的確な相づちや、会話の返しが出来るために必要になる。

蛇足だが、逆に「自分から身をのりだして知的に見せる」のは、接客ではなく「エンターテイメント」なのだと感じる。さらに「知的」な部分さえもなくなったら「粗悪なエンターテイメント」となる。その違いをしっかりと学ばないと、感違いをし、とても恥ずかしい立ち振る舞いをしてしまう可能性があるので、注意が必要だ。

閑話休題、今では、僕も怠慢になってしまって、そういう「引き出しを増やす努力」を怠っている節があるが、過去には、その「引き出し」を増やす大事さと、「引き出し」の使い方を教え込まれた。しかし、今は、ただただ、努力が足りていない。いろいろと足りなくなっている僕が言うのもおかしいが、「接客のココロ」というのは、ただお客さんだけへのサービスだけでなく、人と人とのコミュニケーションを円滑にするために、誰もが学ぶ価値のあるものだと思う。

引出しを増やす努力、接客のココロ、必要だなぁ・・・と、いまさらのように感じる。


写真:[cipher]

Comment(2)