「Glocal はもう古い」という「GEのリバース・イノベーション」から、求められる発想の転換を考える。
週末に、「大前研一の新しい資本主義の論点」 を読んだ。本書は最近のハーバードビジネスレビューに掲載された論文の中から、大前研一氏がセレクトした論文集である。
第3部「グローバリゼーションと新興経済」の章が、特に目を引いたからである。
そもそもグローカルとは、グローバルとローカルの造語。
考えるときはグローバル視野で、行動するときはローカルで。「Think Global and Act Local」というフレーズが語源である。元はと言えば、「常に目の前にいるお客様のために」という発想であるが、global規模でのスケールメリットを生かすために「中央集権による全体最適が先にありき」という発想でできている。
例えば、研究開発のような分野はCentralizeされた本社が行い、「出来上がったものを販売会社である各地の支店が上手くLocalizeして展開しなさい」という「トップダウン+α」が基本的な考え方であった。
この根底にある考え方が変化して、「新興国市場を開拓するにあたり、製品開発のような分野までボトムアップになってきた」という話である。
トップダウンが逆方向のボトムアップになったので、リバース・イノベーションと名づけられたのであろう。
事例としては、安価な医療機器の開発の話が語られており、「ニッチ市場向けのつもりで中国向けに現地で開発された製品が、結果的に米国市場でも立派な市場を創造した」という話である。
「イノベーション=異質のぶつかりによる発想の変化」という観点から、新興国の現地で現地人からの発想をボトムアップで入れないと、もはや本国向けのイノベーションすらも成立しないという考え方である。
そういえば、筆者が留学中のサプライチェーンの講座で、あるグローバル消費財企業のAsiaPacific担当重役がゲストスピーカーとして講義したときのことであるが、こんな写真スライドとメッセージで新興国市場攻略の実態を紹介するエピソードがあった。
- 運送手段の近代化 -> 馬が馬車になった写真
- 積載率200% -> ロープで荷物を満載されて砂漠を闊歩する駱駝の写真。駱駝使いも、頭と背中に「これでもか」と荷物を担いでいる
- ロス率10-20% -> 製品が土間に積まれ、床から水が染みてきてパッケージが泥だらけになっているアジアの湿地帯での倉庫の写真
この重役が伝えたかったメッセージは、
- 新興国とは、先進工業国の常識が通用しない市場。現場を見るしかない。ITによるデータ分析なども通用しない。人間力が勝負の市場
ということだったと記憶している。
こういう市場では、日本のインフラが未整備であった時代を切り開いてきた今の60-70才代くらいの方々の戦後成長期における経験・応用力こそが通用する世界もありそうだ。
「ブロードバンドやネットサービスなど高度なインフラが存在して当たり前」というデジタル・ネイティブ世代には及びも付かない発想が必要になってくるはずだ。
技術的には新しいものは不要。購買力に合わせて単価を調整するために小分けにするなど、パッケージ面での工夫が必要であったりする。
さらに、新興国と言っても、状況を見ながら人材のマッチングが必要だろう。
もはや、中国とASEAN、ロシア、ブラジル等を一様に見ることはできない。
他のケースでは、共同利用制で普及している「アフリカの携帯電話」なども考えさせられる例である。
大草原の真ん中には、基地局もなければ充電用のインフラもない。
したがって、携帯電話と言えども使える拠点が限られており、種族の若手リーダーが毎日代表して、家畜を売る相場情報などを電話で確認するために、貸し出しショップまで何キロも歩いて出かけていくような環境である。
これって考えて見れば、初期の固定電話が普及しはじめた日本の1950年代と同じ。地元の名士の家にのみ設置された電話にかかってくるのを待っていたり、公衆電話ボックスを作っていく世界である。無線でモバイルであることを組み合わせると、出前の貸し出しなどもありえるだろう。
映画「Always 三丁目の夕日」の世界を思い出しながら、冠婚葬祭以外ではすっかり下火になった「電報ビジネス」のようなものも、ニッチなビジネスとして出てくるかも知れないと考えた。
このような「新Glocal = リバース・イノベーションの世界」では、市場の地域割りについても区分が新しくなる。
GEやIBMのアニュアルレポートを見ると、global地域割りについて発想の転換が見られる。
例えば、GEはUSをAmericasから切り離すとともに、中東やアフリカの売上を明記している。
IBMでは、Major Markets/Growth Marketに市場を2分割し、そのなかでもBRICsに関するデータをセグメント情報として公開している。
また、US、日本の2国だけはウェイトの高い先進国市場として個別に情報が公開されている。
新興国としてBRICsだけでなく、東南アジア、東ヨーロッパ、中東、アフリカ、ラテンアメリカを重視するという観点では、組織そのもの変更されていく傾向にあるようだ。
隣国であるという地理的つながりよりも、新興国/先進国という分類が優先され、離れた地域を統括することが組織的にも当たり前になるのだ。
マネージャーが現場を移動する効率よりも、現場施策や発想の共通性のほうが重要視され、新興国側には権限委譲が進められることになる。
例えば、アジアパシフィック担当がASEAN諸国や中国・韓国担当と、日本・オーストラリアのような先進国担当に分割される。
前者では伸びるところを徹底的に伸ばすべく、「イケイケどんどん」タイプの管理職に任せられる。一方、後者は成熟した管理職が、リストラ・テクニックやポートフォリオ管理などを駆使しながら利益最大化の運営方針を採ることになるだろう。
このような状況下において、放って置くと日本市場は幸か不幸か先進国組に入れられてしまい、相変わらずトップダウンで管理され、欧米諸国と比較されるポートフォリオ・マトリクス論の中で「沈み行くキャッシュカウ市場」として、追加投資せずに利益確保で延命策をとる結論になってしまうことが増えるであろう。
しかも、ただ単に日本市場の独自性を主張すればするほど、「日本=コストがかかる割りに儲からない国」とみなされてしまう。
この状況を脱するには、我々、日本人自身がオープン化し、「ルールが変わったので日本市場は再参入のチャンス。ちょっと日本市場特有のロジックさえ理解して今までのやり方をカスタマイズすれば、同じ方法論でアプローチ可能な有望な市場である」と再定義することが重要だ。
GDPや市場規模調査のような見かけの簡単なデータ分析を乗り越え、Micro Segmentationを駆使して成長分野があることを立証し、外部環境変化などから「日本市場の有望性」を説明する能力をつけなくてはいけない。
実は、その辺の旨味を感じているのが、最近の韓国メーカーによる日本の携帯電話市場への再参入ではないかと考えている。
Nokiaが日本市場から撤退したのとは、対照的な動きであるからだ。