なぜ、東大が一番なのか?
こんな事を書くと、東大の卒業生の方々の反感を買うし、また、他の大学の卒業生の方々も快く思われない(あれ、日本中を敵にまわすか?)でしょうが、ロングテールのどこかに書き残しておきたい情報なので、あえて書きます。なお、この情報は25年以上も前に、私のおやじから聞いた内容なので、その点もご理解いただきたい、です。また、長い書き込みで申し訳ありません。
「エリート」という言葉があります。元来、エリートとは「高級官僚」の事を指していました。日本における「高級官僚」は、各官庁にたくさん居そうですが、実は公官庁にも以前は序列がありました。無論トップだったのが旧「大蔵省」でした。
大蔵省の「高級官僚」であることが、日本における本来の「エリート」だった、少なくともご本人たちは、そういった自覚があったと思います。「高級官僚」になるためには、「キャリア」を積まなければならず、その第一歩が大学を卒業することでした。ただし、この「エリート」の人たちにとっての大学とは「東京大学法学部」のことでした。しかも、単に卒業するだけでなく、「法科の首席」でなければなりませんでした。
つまり、毎年何十万人か大学を卒業しますが、本当のエリートの卵はひとりだけなのです。そして、そのエリートの卵が目指すのが大蔵省の主計局長でした。その部下の主計官たちが国家予算を作っていたので、国家の全ての活動がかれらの判断にかかっているのです。そして、最終決定するのが、主計局長。国会はこれを承認するだけでした。
予算作成も煮詰まってくると、何日も泊りがけで本省で作業をします。陣中見舞いと称して時の総理大臣が日本酒の一升瓶を2本、自らかかえて
「ご苦労様でございます。」
と激励に来ます。それほどに重要な役割なのです。大蔵省では午後6時以降はお酒を飲んでもいいことになっており、おそらく、主計局長室の冷蔵庫のビールを飲んだりしながら討論したりするのでしょう。
この陣中見舞いが好きだったのが、宮沢喜一元総理大臣でした。宮沢氏も東大法科首席卒業です。宮沢氏のWikipediaを見ると、こんな逸話も残っているようです。
宮澤が竹下登と初めて会ったときに「(東大法学部の)何期生ですか?」と尋ね、竹下は「早稲田です」と返した。そして宮澤は「じゃあ、政経(政治経済学部)ですよね?」と言い、竹下が「いえ、商学部です」と返したところ、宮澤は竹下のことを鼻で笑ったという。
たぶん、何期生とは言わず、「何年ですか」と聞いたのではと、想像します。なぜなら、エリートは「東大法学部首席卒業が当たり前」だと宮沢氏は思っていたからです。
総理大臣のなかでは他にも福田赳夫氏が東大法科首席卒業ですね。さすがに一年にひとりしかエリートの卵がいなくては困りますので、東大法学部卒業で優秀な人たちを大蔵省・国税庁に割り振ります。これらの人たちを「何年組」と呼んでいたようです。
こういったエリートの卵たちは、本省、本庁で数年勉強したあと、県庁所在地や大きな市の税務署の署長に任命されます。20代前半の若いやつが、突然数十名のトップになり、その地域でもっとも偉い国家公務員になります。しかしすでに彼らは、エリートとしての自覚があり、能力も秀でていますので、ノンキャリアの実力のある副署長を付ければ、難無く2年間署長を勤め上げ、経験を積んで、本省・本庁の係長になって帰ってきます。あとは、様々な職位を経験しながら、主計局長を目指します。
これが、日本のエリートのキャリアです。
なぜ、私のおやじがこんなことを話してくれたか、というと、おやじ自身がこういったエリートの卵たちといっしょに仕事をしていたからです。といっても、私のおやじの最終学歴は農業学校です。おやじは少年航空隊の生き残りで、15歳で戦争が終わり、農業学校に入学・卒業して、税務署に平公務員で就職しました。最終的にエリートの卵たちといっしょに仕事が出来たのは、もともとは能力があった人だったのと、昭和元年から5-6年ぐらいまでに生まれた男子は多くが戦争で死んでしまい、おやじの年代の人が国税庁に不足していたからかもしれません。
おやじの退官前の最終職務が「金沢国税不服審判所」の所長だったので、各地域にある国税局の局長と同列で、いわゆる高級官僚です。まあ、農業学校卒業の人間が高級官僚になった、極めて珍しい例だったようです。
私が高校のころ、おやじが家庭教師代わりに若い同僚をつけてくれたのですが、その人は「京大法学部」首席卒業で、周りの人たちからは「へーっ」といわれたそうです。珍しいというより、それだけ実力があるんだね、という意味合いだったそうです。
おやじがよく言っていた言葉は、「権力が与えられている人には、高い給料は与えられないものだ。」でした。我が家は本当に貧乏すれすれで、給料日前には、おかずが無く、「すいとん」を食べていました。狭い公務員宿舎に住んでました。今のエリートさんたちの生活は水準が上がったのでしょうか。
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本当にエリートを目指すのであれば、東大法学部に入ることが必須だったので、東大入学が難しいのでしょう。おやじに東大を受けるといったら「法学部か」と聞かれ「いや物理」といったので、がっかりされたことを覚えています。また国家公務員の試験を受けようかと相談したときに「技官」を受けるといったら「やめておきなさい」とも言われました。
おやじの考えでは、東大法学部 → 国家公務員事務職 でなければ、どんな職業も同じだ、平等だ、と。私が料理が得意だったので「東大落ちたら、コックになったらいい」と言ったのもおやじでした。おやじはいやみを言ったのではなく、人生、好きなことをした方が良いんだ、という意味だったと思います。
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2001年中央省庁再編により、大蔵省は「財務省」という名前に変更され、予算編成権は経済財政諮問会議に「建前上」移動しました。これからは、エリート不在の日本になるわけです。そうなるとエリートの卵を育てる役割を果たしてきた東大のあり方も変わってくるのでしょうか。逆に変わるべきなんじゃないかな、とも思います。東大出ではないので、言う権利はありませんでしたね。失礼。
ちなみに、おやじは退官にあたり、天下りはしないと言い切り、自分で会計事務所を作り、今でも税理士を続けています。