スポーツ界のコーチングでも国によるコンテクストの差で信頼構築に影響!
グローバルなコミュニケーションのお手伝いをしていると、ハイコンテクスト・ローコンテクストの問題に結構ぶちあたる。
グローバルビジネス:言葉の違いよりも、バックグラウンドの違いに苦労することのほうが多い。
そして、当たり前のことながらこれはビジネスだけではなく、スポーツの世界でも当てはまるのだなぁと思って面白く読んだのが、このエントリー
バスケットにおけるコーチの具体的な言葉づかいで説明しているので、日米のコンテクストへの依頼度合いと反応の違いがよくわかる
たとえば、
日:無駄なドリブルをつくな~!
米:ドリブルを使う時は、①アタックする時、②パスアングルを作る時、③危険を回避する時だ!
日:オフェンスリバウンドに何故いかない?
米:ショットがあがったら、3人がオフェンスリバウンド、2人がセーフティだ!
アメリカ人コーチははっきりと「定義」をする。愚直で窮屈なくらい「ルール化」する。
そして日本人選手はアメリカ人コーチの指示を窮屈に感じる。逆にアメリカ人選手は日本人コーチの指示がよくわからないと感じる。
私が意訳すると、
日本人「そこまでいちいち言われないとわからないなんて、アメリカ人選手は馬鹿じゃないの?それくらい考えればわかるだろう!」
アメリカ人「こんな簡単なことも選手に指示をだせないなんて、日本人のコーチは馬鹿じゃないの?」
面白いことにハイコンテクストとローコンテクスト文化の人々はお互いが馬鹿に見える。
例えば同じ日本でも、会社の中では、相対的にはハイコンテクストが営業部隊、ローコンテクストが経営戦略室である。
経営戦略室「客観的に根拠のある情報から市場を説明できないなんて、営業は馬鹿じゃないの?」
営業部隊「過去の数字からだけ市場をよみとろうとするなんて、経営戦略室は馬鹿じゃないの?」
グローバル化が進む中、ローコンテクストの国とハイコンテクストの国の人々が一緒にコミュニケーションをとらなければいけないことが多い。
そう言う時は、ハイコンテクストの日本人は、ローコンテクストの人々にスタンダードを合わせざるを得ない。(大は小を兼ねるではないが、ローコンテクストの人にハイコンテクストの人を理解させることは、あきらめたほうがよい)
コンテクストのテーマをあげながら言うのもなんだが、頭でっかちに概念を理解するよりプラクティカルには、こういう具体的な事例を参考に、説明方法を変えることで、意識も行動も変わる。
まずは、Wordingをまねること。そうすると、色々あいまいにしていたことを決めていかなければいけないことに気が付き、実行に移せるものだ。