プロボノがもてはやされる裏事情:ビジネスで感謝の気持ちや社会貢献を感じる余裕がないのはちょっと悲しい。
プロボノがはやっている。元々は、弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を言っていたが、転じて、法律分野に限らず各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般を指すことが多い。
CSR(Corporate Social Responsibility)が、主体が企業であることに対し、プロボノは主体が個人のイメージだ。
ビジネスを通して得たスキルや経験を無償で社会に還元することは素晴らしい。
が、最近、違和感を感じることがちらほら。
例1:ボランティアで若者のキャリア相談にのることが多いのだが、昨今の若者はNPOなど非営利団体への興味が高い。興味が高いこと自体は喜ばしいことなのだが、非営利団体も色々あり、自分の経済的自立が勝ちとれないものも多いのだが、そのことに対してあまり深く考えていない。
どうやら、競争することが悪、お金を儲けることが悪、のように感じている風がある。
例2:あるWebディレクターがボランティアでWebサイトを制作し、「非常に感謝されて、仕事では得られない喜びと充実感があった」とコメントしていた。
Webサイトを制作するという行為は全く同じなのに、どうして仕事では喜びが感じられないのだろう?プロジェクトが成功すれば、顧客だって感謝しているはずだ。
顧客が感謝の意を示すことが下手なのか、本人が顧客の感謝の意を汲むことが下手なのか・・・
私自身もボランティア活動は楽しいと感じるし、守銭奴と言われるのも嫌だ。
しかしながらビジネスの素晴らしいところは、お金をもらって感謝され、そしてそれが社会貢献につながっていることだと思うのだが。
(1年ほど前に、「プロとは?:お金をもらって感謝されること」というエントリーも書いている)
一昔前に、一部の企業があまりに貪欲に自分の利益のみを追求するあまり、社会に悪影響を与えたことへの反動で、また揺り戻しがあるのだろうとは思っている。
しかし、FREE戦略なるものがビジネス界で生みだされ、対価に関する考え方が変わってきたことによる影響があったりするのだろうか??そうだとしたら、この流れは一過性ではなく、新たな局面を迎えて行くこともあるのかもしれないなぁ。