教える方は形式知化することが大事、教えられる方は暗黙知を理解することが大事
楽器(ピアノ)を習うと、先生に「そのフレーズはもっと感情を込めて」というアドバイスをよく受ける。さて、このアドバイスはどのくらいの人にとって効果的なのだろう?
・どのフレーズに感情を込めたらいいか迷っていたけどここだったのか!
・そのフレーズに来るとなぜかうっかり感情を込めるを忘れちゃうけど、またやっちゃったのか。
・そうか、何か物足りないと思っていたけど、感情を込めればよいのか・・・
と感じている人(7~8割くらい?)には有意義なアドバイス。
さて、自分自身の経験を踏まえても、こういうアドバイスを受けると、不思議なものでなんとなくわかった気持ちになって「感情を込めて」楽器を演奏するのだけど、「感情を込める」って一体何をしたらよいのでしょうね?
ある本を読んでいたら面白いエピソードが書いてあった。「中指を普段より高く上げてから弾くと音を響かせることができるのよ」というアドバイスを代理のピアノの先生にもらった。すると、普段自分が出していた音とは全く違う音が出るようになったし、普段の先生の「感情を込めて響かせる」という教えもよくわかるようになったとのこと。
野球の練習で「リラックスしろ」と言われてもずっとうまくできなかったのに、ある時「ひざの力を抜くんだ」と具体的に教えられてうまくいくようになったエピソードもあわせて紹介されていた。
芸術やスポーツにとどまらず、仕事においても教える側は「感覚的なことをどれだけ具体的なステップを踏めるように言語化できるか」が大事だ。
自分が不得手なことは意外に教えることが上手で、自分が得意なことのほうがどう説明すれば相手に伝わるのか苦心することが多いと私は感じている。たぶん自分が得意なことというのは普段感覚的にやっているからなのでしょうね。
さて、それでは教わる人はその形式知化された情報を入手することに力を注げばよいのか・・というとノーだと思っている。なぜなら、世の中には圧倒的に暗黙知のほうが多い。数少ない形式知化されたことは実は誰もが知りえて、利用している可能性が高く、暗黙知化された情報を入手し・吸収することでしか差がつかないと思うからだ。
(もちろん形式知化した情報を先に仕入れて、吸収するのには賛成だけど。)
さて、その感情を込めるピアノですが、私の場合は体をぐらんぐらん揺らして達成しようとしていたようです。(ピアノの発表会のビデオを見ると一人体の揺れが大きかった)