「楽しんでいない自分」を発見して楽しむ
「大里さんっていつも楽しそうだけど、仕事が楽しくない時ないの?」と聞かれることがある。もちろんありますよ、人間だもの(笑)ただ、世の中大多数の人が「楽しくない」という時に湧き起こる感情とは、ちょっと違うのではないかと想像する。
若かった頃は簡単だった。仕事が楽しくないことは、ほとんどなかったのだ。何でも好きで、楽観主義で、お気楽で、いつもほとんどハイパーな状態だったので、周りの人はさぞや迷惑だったことでしょう。
ビジネススクールの組織論で、いかに社員にやる気を起こさせるかというテーマがあったのだが、正直なところ、私はなぜそんなことを勉強するのかさえわからなかった。えっ、仕事が楽しくないの?やる気が起きないってどういうこと?のような(笑)やる気って中から湧いてい来るもので、人から削がれたり、作られたりするようなものじゃないでしょってな感じで。
安心してほしいが、今はやる気が起きないことはよくある(笑)
経験を積めば、仕事の量も質も変わってくるし、プライベートのステージも変わってくる。うまくいかないこともたくさんあるし。
でも、苦労することがほとんどなかった若いころより、苦労することが多い今の方がなんだか余裕がある。
それは自分をちょっと突き放して見ることができるようになったせいかと思う。
つまり、「あぁ、私ってこういう仕事は苦手なんだなぁ、好きじゃないんだなぁ」と、自分の知らない(情けない)一面を発見したことを面白がるというか。
昔はどちらかというと、楽しんでいない自分を認めることが出来なくて、無理に楽しもうとして自己矛盾に陥っていた気がする。
今は「ごめん、これ楽しくないや。困ったねぇ。ハハハ」と開き直れるというか。
「楽しくないことにも必ず終わりがあって、そのうち楽しくなるんだよなぁ。私って飽きっぽいから、楽しくないことにそろそろ飽きるはずだし」と考えて楽しくなるというか。
おかげで今でも私は「楽しい」状態の人なのである。道を歩いていても、考え事をしていて視線が定まらなかったり、ヘラヘラしたりしているので、夫からは「危ない人に見える」とよく注意されている。