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「自分だけの武器」を持たねば、フリーランスとしては生きていけない。「オリジナルの戦略」を描けなければ、コンサルタントは務まらない。私がこれまで蓄積してきた武器や戦略、ビジネスに対する考え方などを、少しずつお話ししていきます。 ・・・などとマジメなことを言いながら、フザけたこともけっこう書きます。

【オトナのための農業講座】 無農薬・無化学肥料で野菜は育つのか?

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私が無農薬で農業を始めたと言うと、多くの人々が「無農薬で本当に野菜は育つの?」と質問をしてくる。その確率、およそ8割。つまり8割は無農薬では野菜は育たないと、感じているようなのだ。・・・私はここに「農業における迷信」の存在を実感する。迷信とは、根拠なく誤って信じること。無農薬でも野菜は育つ。むしろ立派すぎるくらいの野菜ができる。農業ブームと言われる昨今だが、日本には農業にまつわる迷信が非常に多い。そこで【日本の農業の事情】と【日本の消費者の事情】、生産者と消費者、両サイドから農業ということを考えてみる。

都会人にとって<農業は未知の世界>である・・・

毎日、野菜は食べている。テレビでは農家の苦労話などが報じられる。それで何となく農業という職業を"知っているような気がする"のだが、実はほとんど知らない。農業とは、そんな不思議な世界である。現代人、とりわけ都会人は、実際に畑に足を踏み入れた経験がなければ、直接に農家と話したこともない人が圧倒的であろう。私もまさにそのひとりだった。振り返れば、40年近い人生のなかで畑に入ったのは、たった一度だけ。幼稚園のイモ掘り遠足だった。

【日本の消費者の事情】とは、農業を知っているようで知らないという現実。なぜ?

「農家が農業という職業を語ってこなかった」という長い歴史がある。普通の企業、ビジネスマンなら、自社の話や自分の仕事について積極的に語ることだろう。友人や家族に、クライアントに・・・CMやWEBで・・・ある意味、語ることが仕事でもある。これに対してそもそも農家は自分の仕事を語る必要性も機会もない。基本的に家族経営で朝から晩まで働いており、日々接するのは身内か近所の農家くらいのもの。同業者に対して「私はこんな風な仕事をしているんだよ・・・」と語ったところで、そこに一体何の意味があろうか?

【日本の農業の事情】とは、農家が無口であったこと。

こんなことから農業と都会人の距離はどんどん離れていく。分からないことばかり増えていくのだ。

江戸時代、人口の8割が農民だった・・・

おじいちゃんのおじいちゃんが生きていたのが江戸時代と考えれば、それほど遠い昔の話ではない。江戸時代はほとんどが農家だったのだ。生産者イコール消費者という状況。それほど物流が発達していなかったであろうから地産地消が当たり前、当然ながら現在のような農薬も化学肥料もない時代。みんなが農業を知っていた時代。それからわずか140年余りのうちにビルが立ち並ぶ国が完成した。

近代化の過程において、いわゆる勤め人が急増し、比例するように農業が知らない世界になっていった。今の農業ブームの背景をひとつ挙げるなら、自然回帰的なライフスタイルへの憧憬がある。土に触れたい、野菜を育てたい、お日様のもとでカラダを動かしたい・・・多忙を極める現実生活からの逃避のようであり、人間の精神衛生としてはごく自然な流れのように思われる。ただし今回のブームはやや性質が異なる。

まず驚くのはIT系企業に勤める壮年のビジネスマンが、意外や意外に農業への関心が非常に高い。農業ボランティアや就農相談ではなんとIT系の多いことか! そのたびに私は複雑な想いになる。ビジネスのスピード、テクノロジーのスピードがもっとも速い業界は、やはり精神的にこたえるのだろう。ボディーブロウのように。もうひとつの中心的レイヤーが20代の若年層である。かつて農業は引退後の趣味の定番だった。ここに若者が向かっているというのは、こちらもまた複雑な想いにならざるを得ない。若いうちからそんなにスローライフを求めてどうするの? と思うのだが、けっこう真剣な人が多い。

しかし、これほど真剣に農業に触れてみたいと考えるブームの渦中の人ですら、やはり農業は未知の世界のようだ。興味があってやってくるのだが、持っている情報はあやふや、あるいは勘違いが多い。

100人に1人くらいしか知らない大切な話・・・

何となく注目を集める農業だが、上述の通り、その内実世界はほとんど知られていないのが実際のところである。農家がリアルな農業を語ってこなかったから、現代の消費者は多くのコトを知らないまま。ならば私が語ろうというのが、このブログ。

さて無農薬で野菜が育つのは上述の通り。消費者が無農薬野菜へ高い関心を示すのは、食品の安全性という問題からである。納得できる。しかし、私はそれよりももっと大事なコトがあると常々思っている。

やっぱり味でしょう! 美味くなきゃ食べる意味ないじゃんと。

【野菜の味は肥料で決まる】。化学肥料を使うと野菜本来の味が損なわれる。味が薄いというか、バランス成分が悪いというか、ケミカルな味がする。農家にとっては常識だが、語らないから消費者はこの事実を誰も知らない。相当に野菜にこだわっている人でも、知っているのは100人でせいぜい1人くらい。無農薬より無化学肥料の方がよほど重要なテーマなのだ。農薬や化学肥料が野菜に与える影響については、いずれゆっくり書くつもり。

無農薬って大変でしょうに・・・

「無農薬で野菜は育つの?」という質問が8割なら、およそ9割の確率で言われることがある。「無農薬の農業は大変でしょう・・・」という言葉。私は毎回「分からない」と答えている。農薬や化学肥料を使った場合の楽チンさを知らないのだから、分からないとしか答えようがない。そして大変でしょうという言葉の裏には必ず"農業という職業自体が"という意味が含まれていることを察する。肉体労働だし、休みはないし、天候に左右されるし、儲からないし。

農業は伝統的に、国策として保護されている産業である。それは同時に農家へレッテルを貼ってることを意味する。可哀そうな産業だから、保護されているのだと。先天的に"辛い運命"を背負わされている。メディアが農家を取り上げるとき、多くの場合が悪いニュースであることでも理解できよう。災害で畑が全滅しただの、天候不順で不作になってしまっただの、悲惨なイメージを増長させる。実際は? 私は十分にノーギョーを楽しんでやっている。辛いとも思わない。だって、それがビジネスでしょ? 何も農業だけが大変なわけではない。サラリーマンだって大変だ。同じこと。

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私は昔から江戸時代に妙にココロ惹かれる。何だか市民が生き生きしていたような気がするのだ。飛行機で気軽に海外旅行に行ける現代もステキで便利だが、地道に自然と共生していた農的ライフスタイルにも憧れる。MAKUWAURIが江戸時代的な農法=無農薬・無化学肥料でやっているのは別にそのせいではないが、天気の良い暖かな午後、鳥のさえずりを聞きながらひとり鍬で土を耕していると、ふと自分が江戸時代の農家になったようなユルイ錯覚に陥る・・・写真はいつの時代のか分からない超ビンテージな農器具で唐箕(とうみ)という。私はこれを眺めながら、平成に江戸を感じた。

キャベツに花が咲く!と驚いて、笑われる・・・

【すべての野菜には花が咲く】という事実を知っているだろうか? キャベツにも花が咲くのだ。スーパーに並ぶ丸いキャベツが最終的なカタチだとずっと思っていた。あの姿しかみたことがないから、それがキャベツの正しい姿。しかしあれは正確には「キャベツの途中の姿」なのだ。丸く成長したキャベツを収穫せずに放っておくと、やがて真ん中がパックリ割れ、そこから芯のようなものが天空に向かってニョキニョキと伸びてくる。そしてそこに花が咲く!

まったく想像していなかった事態に、私は畑で大騒ぎしていた。すると隣の農家のオッチャンが現れて「そんなコトも知らんのか・・・」と、相当呆れていた。いや、普通は知らないはずだと、後日、キャベツの話をいろんな友人にしてみた。すると、誰も知らなかった。みな一様に感心していた。

都会人にとって、農業は未知の世界である。

(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)

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