ハイオクを捨てたガソリンスタンドの渋すぎる戦略
千葉の観光地で立ち寄った小さなガソリンスタンドが、ちょっと奇妙だった。
「ハイオク、満タンで」
いつものように頼むと、思ってもいない言葉が返ってきた。
「ああ、悪いネ。うち、数年前にハイオク辞めちゃったんだよ」
「はい?」
「いやあ、ハイオク売れないからさ」
ハイオクの販売を辞めたスタンドなんて聞いたことがない。そもそもスタンドは「レギュラー」「ハイオク」「軽油」という3つのセット販売が常識だと思っていたから、「ハイオクだけ辞めることができる」という事実にも驚いた。
考えるとここ数年、都内では次々とスタンドが閉鎖している。オフィス街だったり駅近の一等地だったり、大きな幹線道路沿いでもスタンドの跡地がけっこう目につく。
古くからオーバーストアを指摘されていたスタンド業界。加えて人口減少や若者のクルマ離れなどガソリン需要は減っており、むしろスタンドの「閉鎖ラッシュ」は遅いくらい。何とか経営してきたものの、ついに環境の変化に耐えきれなくなった〝選択的な決断〟が多いのだろう。
対して、ハイオクのみを辞めたスタンドは「戦略的な決断」と言える。大胆なまでに売れ筋商品を絞り、将来的に生き残るためガラリとビジネスモデルを変えたのだ。
ビジネスモデルはいつ変える?
ガソリンスタンド業界に限らず、マーケットの変化についていけない、あるいはいまだ対応に迷っている業界は少なくない。たとえば地方の店舗がどんどん姿を消していく百貨店業界、すっかり商店街から消えてしまった書店業界などは、打つ手を見い出せぬまま「ジリ貧状態」に陥っている。
アパレル不況だ。若者の書籍離れだ――。百貨店にしても書店にしても、あたかも時代のせいのように語られ、また「ネットに破れた」「アマゾンに喰われた」ように言われるが、それは本質をついた意見とは言いがたい。
アマゾンが日本に上陸したのは2000年。一方で、百貨店の売上が落ち始めたのは1990年代半ば、同じく書店が廃れ始めたのも1990年代の半ば。つまり、〝業界の地盤沈下〟はすでに始まっていたわけで、アマゾンは単なるきっかけ、もしくは沈下を加速させたにすぎない。
じつは、アマゾンが日本に上陸する際の仕事に少しばかり関わっていた。アマゾンに関するニュースを集めたり、アメリカでの様子をリポートにまとめたり、生まれたばかりのビジネスモデルを研究していた。
誰もネットで本が売れるなんて想像もせず、「本は本屋で買うもの」という時代である。正直、ボクも研究しながらピンとこなかった。それは書店業界も同じことで、アマゾンが上陸してなおしばらくは、「店舗に80万冊の蔵書!」とか「駅前に地域最大級の店舗オープン!」といった出店競争を繰り広げていた。
同じころ、デパ地下を整備したり高級ブランドを誘致したり、改装ブームに明け暮れた百貨店業界。ところが、すでに消費者のココロは離れ始めていた。大金をかけて改修しても客足はほんの一瞬増えるだけで、半年も経たぬ間に元の状態に戻ってしまった。
両業界に共通しているのは、マーケットは変わりつつあったのに、業界内での競争に明け暮れて正解を見つけられなかったこと。新しいビジネスモデルを模索しなかったこと。
ではアマゾンが上陸したあのとき、ネットを強化していたら成功したのだろうかといえば、そう単純な話でもない。いまだ日本には有力なネット書店がなく、ネット百貨店も育っていない。そう、単純にマーケティングが下手なのだ。
とりわけ百貨店の迷走ぶりはひどく、夏にセールを2回開いてお客を呼ぼうとか、プレミアムフライデーに乗っかろうとか、いまだトンチンカンなことをしている。
ビジネスモデルより大切な経営者の心がけ
今、とある企業のビジネスモデルの転換をサポートしている。経営者の勘がよく、まだ売れているうちに動き始めようとしているのだ。5年後に始めていたら、もはや手遅れになっていたかもしれない。
今ある商品が、5年後も同じ手法で売れるとは限らない。
ハイオクを捨てた小さなスタンドのオヤジは、ビジネスモデルの転換というより心の転換に優れていたのだ。
(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)
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