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「シェアは力なり」
11日に亡くなられたNEC元社長の関本忠弘さんの発言で、一番印象に残っているのはこの言葉だ。1990年代前半、新聞記者でIT分野を担当していたとき、幾度かインタビューさせていただく機会があった。当時はとくに、それまで圧倒的なパワーを見せていたNECのパソコンのシェアが、外資系メーカーなどの市場参入で50%を切るかどうかの攻防の真っ直中にあった。
なぜ、「シェアは力」なのか。関本さんは「シェアには、開発、製造、マーケティング、販売といったすべての力が働いている。シェアはそうした力の結晶。だから僕はこだわっているんだ」としきりに強調していた。「シェアは力なり」という関本さんの言葉は、当時のNECのパソコンの広告にもキャッチコピーとして盛んに使われた。ユーザーへはその存在感を知らしめるとともに、「シェア争いの戦いに負けてなるものか」という社長としての強い思いを前面に出して、社内を奮い立たせたかったのだろうと思う。
関本さんの話から、筆者は「力の結晶を象徴する言葉」に強い興味を覚えた。おそらく「ブランド」もそうだろうし、経営的には「利益」であり「株価」かもしれない。では個人の仕事の場合はどうだろう。当時、新聞記者で前線を張っていた筆者は、自らの仕事における力の結晶を象徴する言葉を考えた。出てきた言葉は「スクープ」。新聞記者にとってスクープこそが、すべての経験や技能、そして情熱の集大成だと考えた(もちろん誤報は論外だが)。この思いは今も変わっていない。こんなことを一生懸命考えさせてくれた関本さんに感謝している。
関本さんに対してはいろいろな評価があるが、ここで評伝を書くつもりはない。ただ1つ、筆者の新聞記者時代のエピソードを書き記しておきたい。
関本さんは1994年に社長から会長に就いた。交代のタイミングや後継社長人事を巡って、その頃よく関本さんのご自宅へ夜回りをした。交代前の2~3カ月は、いつも5~6人のライバル紙の新聞記者が、関本さんの帰りを自宅前で待っていた。5~6人もいると、いざ関本さんが帰宅して自宅前でぶら下がり取材をしても、みんな牽制し合ってばかり。いつしかスクープを取るというより、特オチしたくないという思いのほうが強くなった。
そこで筆者はある日、いつものように数人の記者とぶら下がり取材を終えた後、30分ほどしてからまた関本さんのご自宅に訪れた。もう午後11時を過ぎていただろうか。関本さんは嫌な顔もせず、玄関口で応対してくれた。筆者は恥を忍んで思いの丈を話した。
「うちは夕刊がないので、へんなタイミングで発表されると記事が間に合いません。どうかそのあたりをご勘案いただきたく……」
もちろん、これはタイミングの話だけではなく、他紙にスクープされないようにお願いしたのである。それにしても何と不躾なお願いか。まったくもってみっともないサマだが、関本さんは筆者が話し終わると、こちらの顔をじっと見据えながら一言こう言った。
「わかった。悪いようにはしない」
結局、その数日後、トップ人事は共同会見の形で発表され、筆者はとりあえず特オチは免れた。
筆者は今でも自分がテンバッたとき、このシーンを思い出す。みっともない話である。でも真剣にがんばっていた自分の感覚を思い出せる。当然、そのシーンは、関本さんの「わかった」と言ったときのキリリとした表情が刻まれている。
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