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30年に渡って関わってきた米国のITの出来事、人物、技術について語る。

創造性とは何だろう

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いつも思うのだが、人間は経験しないことは理解できない。このブログはどうしても日米の比較になってしまう。欧米ネタで日本を誹謗したり貶めたりで飯を食っている人も多くいるが、筆者は日本の応援団で、意図的に日本を悪く言っているつもりはない。ただアメリカとの比較で(もっとも筆者の知るアメリカは筆者自ら経験したアメリカでしかないが)、間接的に非難しているように受け取られるかもしれない。

昔日系企業に勤めていたとき、日本本社から旧知の人間がやってきた。彼は日本至上主義者でアメリカ人を馬鹿呼ばわりする上、二言目には「アメリカはこうです」と言う。ワンパターン、ワンフレーズだ。しかしこれで彼は会社のお偉方に大変受けが良かった。筆者はすでに二十数年アメリカにおり、「アメリカはこうでもあり、しかしまた全く違ったこうでもあります」としか言えない。そうすると、「岸本、お前の話は分かりにくい。あいつの話は簡潔で良く分かる。少しは見習え」となる。それでも筆者は、人や事象をステレオタイプで述べることは絶対にしないようにと心掛けている。一面だけを切り取ったのでは、本当の姿から遠ざかってしまう。けれどそれで突き進むと、すべての場合を挙げなければならなくなって記事にならない。だから一般論を述べることをご容赦ください。

前置きが長くなったが、創造性とは何だろう。他人の意見に盲目的に従うのではなく、自分で考え自分で新たなものを作るということなのだろうか。もしそうなら、経験した範囲ではアメリカの方が一般的に創造性があるように思える。もちろん例外も多くあり、たとえばホンダやソニーなど、創造性の塊のような会社もある。

実際の経験を挙げてみよう。某大手の米国現地法人に勤めていた時のこと。日本本社が、アメリカのベンチャーのソフトをライセンスした。そのソフトを受け取ったエンジニアの言葉。「岸本さん、聞いてくださいよ。彼らのソフトはエラーの処理は全くと言ってよいほどしてないし、バグだらけで、こんなんだったら我々でも開発できましたよ。」筆者はずるい。「ほう、そんなものですか」と言いながら腹の中では、「そんなに言うなら、てめえら自分で開発すればいいじゃねえか。できもしないくせに偉そうに言うな、この野郎」と、相手が関東人だからニセの関東語で思った。確かに、アメリカのベンチャーのソフトについては、他所でも似たような話を聞いたし、ソフトの開発者と話をしても、信頼性や安定性を強調する人間は少なかったように思う。もちろんこれは筆者が経験した範囲の中での話で、こういうことをきっちりやっているベンチャーもたくさんあるとは思うが。

既知のもの、既に認められたものを改善するのは、ある意味では簡単だ。それに比べ、もとネタを開発するのは大変だ。今までの経験から言えば、市場が受け入れる前に頑張り過ぎたベンチャーが潰れることが多い。あるアイデアを市場に先立ち事業化するのは困難だ。今市場が無いのは、アイデアが新しくて皆が理解していないからか、端からそんな分野にはチャンスがないからか。それは時間が経たないと分からない。そのリスクも負わず、そのリスクを負ってようやく大手企業にライセンス契約するまで進んだベンチャーの人間に向かって「この程度なら俺にもできた」って、この無礼者が。しかし根性なしの筆者は微笑んで「そうですね」と言うのが関の山。

もうひとつ例を。あるベンチャーと関わって、偽の肩書きを貰ってある日本の会社にライセンスを売りつけようとして本社に出向いた。モバイルとセキュリティの間ということで、相手もこの分野に詳しい技術者を用意していた。彼はこの分野でデファクト標準のJ2MEの専門家だ。このサンの技術に精通しており、その信奉者でもあった。こちらの話を端から馬鹿にして、ことごとく粉砕した。勝ち誇った彼の顔を見ながら、「お前はあほか。サンの手先か。ひょっとしたら、サンの牙城をつぶせるかもしれない話をしている俺にテクニカリティで勝ってもあかんやろう」と思った。権威に弱いというか、新しい視点で物が見られないというか。今天下を取っている技術がベンチャーの技術によってひっくり返されることもあるだろう。何ともばかばかしい思いでミーティングを終わったことを覚えている。

日本のITは創造性が見られず、ずっとアメリカの後追いだと言われる。層が薄いのは問題かもしれない。係長、課長程度までいった40歳以下の層がベンチャーに流れないのも問題かもしれない。また新たなベンチャーに資金提供をする投資家が欠如していることが根本にあるのかもしれない。でも、教科書に載るような技術ばかり使用して自前の技術が無いのは、どうなんだろう。心配だ。

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