12年前の今日が第一回目のPHP試験日でした。試験問題を持ったまま被災。
まいとし、3月11日になると、当時のことを思い出します。
3月11日が幻となった第一回PHP試験の当日でした。
第一回の試験は現在のCBTという試験会場のパソコンで受験する仕組みではなく、会場を借りてのペーパー試験でした。
記念すべき第一回ということで、全国から会場に集まってきていただいて、東日本大震災で津波の被害にあった岩手県の方も受験する予定でした。
私は会場に早めに入りたかったので、試験問題をカバンに入れ、会場に向い、少し時間があったので雑居ビルにある行きつけのマッサージ屋さんでマッサージを受けていました。
その時に一回目の地震が起こり、雑居ビルの壁に、真横に亀裂が入り、マッサージ屋さんの中は叫び声が!
ビルが倒壊しそうだったので、着替えて、荷物をもって、大きなビルの中に入り、喫茶店に入り、そこを対策本部にしようと思いました。
すると、今度は二度目の大きな地震が起こりました。
窓から見える首都高速道路が大きくゆっくりと揺れているのが見えました。
もうなすすべもない。。そんな感じでした。大きなビルの中にいれば、とりあえずは大丈夫だろうということで、落ち着くまでそこにいることに。
たまたま、会場で準備をしていたスタッフの人と連絡が取れたので、本日の試験が中止になることを伝え、受験者の方に試験中止と解散していただくことを伝えていただきました。受験予定だった岩手県の方はまさにつまみの被害を受けた町の方で、顔を青くして、私は帰らなければいけないと言って、帰っていったそうです。
そんなこともあり、PHP技術者認定機構は、その後数年にわたって、売上金額の一部を復興支援のため寄付をし、チャリティーセミナーを東北で実施したりしていました。
大規模災害が発生すると、人にはどうしようもないことが多いですが、ほんの少しのことで生死が分かれたり、復旧がはやかっったりするので、私個人はいろいろ準備をするようになりました。
今、家が3か所あるのも災害対策の一環です。東京直下大地震が起こった場合でも、どこかで生活が続けられるようにしています。
各場所で備蓄をしていたりします。
その準備が役に立たないことになるいかもしれませんが、できる限りのことはしておきたいものです。