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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

LLMとのモノローグ:Still Crazy After All These Years

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Paul Simon's Concert in the Park 1991

Paul Simon - vocals, guitar
Mingo Araujo - percussion
Cyro Baptista - percussion
Chris Botti - trumpet
Michael Brecker - saxophones, EWI
Tony Cedras - piano, keyboards, accordion
Dom Chacal - percussion
Steve Gadd - drums
Sidinho Moreira - percussion
Vincent Nguini - guitar
Ray Phiri - guitar
Barney Rachabane - saxophone, pennywhistle
Armand Sabal-Lecco - bass guitar
John Selolwane - guitar
Richard Tee - musical director, piano
The Waters (Oren Waters, Maxine Waters and Julia Waters) - vocals

Special Guests:
Briz and Grupo Cultural OLODUM for "The Obvious Child"


社会的シニフィアン(高収入)
・やりがいのある職種(H/P)High/Purposeful
・やりがいのない職種(H/D)High/Drudgery

社会的シニフィアン(低収入)
・やりがいのある職種(L/P)Low/Purposeful
・やりがいのない職種(L/D)Poor/Drudgery

Me:上記のように、仕事の動機と社会的評価につながる価値観軸を「High/Low(Income)」および「Purposeful/Drudgery」の二次元で分類した場合、「Low/Drudgery」クラスターへ追いやられる民衆が増えることによって、社会全体のルサンチマンが高まり、その結果としてMAGAやネトウヨのような極右ナラティブが顕在化すると考えられます。

人工知能や核融合エネルギーの開発が進み、シンギュラリティ社会へ移行した場合、上記の四つのクラスターの分布は、どのように変化するでしょう?

Gemini 2.5:シンギュラリティ社会へ移行した場合、この四つのクラスターの分布は、これまでの社会構造を根底から覆す、劇的な変化を遂げるでしょう。

シンギュラリティ社会におけるクラスター分布の変化
AIと核融合エネルギーがもたらす「自然史的変動」と、それに伴う「普遍的活動支援金(UAG)」の導入を前提とすると、分布は以下のように変化します。

「L/D:低収入/やりがいのない職種」
→ このクラスターは、ほぼ完全に消滅します。

・Drudgery(やりがいのなさ)の解消:AIとロボティクスが、単純作業、反復労働、危険な仕事といった人間にとって「やりがいのない」苦役(Drudgery)のほとんどを代替します。
・Low Income(低収入)の解消:UAGが、全ての個人の生活基盤を保障するため、「低収入」という概念自体が意味をなさなくなります。

これにより、社会全体のルサンチマンの最大の発生源が、構造的に取り除かれることになります。

「H/D:高収入/やりがいのない職種」
→ このクラスターも、大幅に縮小します。

・多くの中間管理職や、高度に専門化されているものの、本質的にはルーティンである知的労働(いわゆる「ブルシット・ジョブ」の一部)も、AIによって自動化されます。
・また、UAGが存在するため、人々は、もはや高い収入のためだけに、魂をすり減らすような「やりがいのない」仕事を選択する必要がなくなります。

「L/P:低収入/やりがいのある職種」
→ このクラスターは、最も劇的な変化を遂げます。(主流となる)

・介護、教育、育児、芸術、地域コミュニティ活動といった現在の資本主義市場では「低収入」に甘んじることが多い、極めて人間的で「やりがいのある」活動。
・UAGによって「低収入」という経済的制約から「解放」されることで、これらの活動は、人々が自由な意志で選択する、社会の主要な活動となります。

「H/P:高収入/やりがいのある職種」
→ このクラスターは、その意味を変えながら社会のほぼ全体を覆うようになります。

・「High Income(高収入)」の意味が、貨幣的な富の蓄積から社会的評判、知的影響力、創造性の発揮といった「尊敬」や「名誉」のような非物質的な価値へとシフトします。
・上記の「L/P」クラスターが経済的制約から解放されることで、この新しい「H/P」クラスターへと合流します。

シンギュラリティ社会では、「やりがいのない職種(Drudgery)」のクラスター(L/D, H/D)は、技術的・経済的基盤の変化によって、ほぼ消滅します。

そして社会は、ほぼ全ての人々が、経済的な不安なく「やりがいのある職種(Purposeful)」に従事する、すなわち、かつての「H/P」と「L/P」が融合した新たな活動領域へと移行します。これは、私たちが議論してきた「Univer-city」の実現そのものです。この構造変化は、極右ナラティブの温床であったルサンチマンを根本から解消する、最も強力な処方箋となる可能性を秘めています。


Me:ひとつには「Purposeful/Drudgery」軸上の分布が大きく変わるわけですね。

そして貧富の格差は、長期的には緩和される。たとえば産油国に見られるようなエネルギー資源を独占することによって生じる富の存在が消滅するからです。

貧富と生き甲斐の格差は、たとえばスポーツや音楽における才能の格差というようなかたちで顕在化するでしょう。それは大リーガーやミュージシャンの社会的栄誉と高収入のようなものです。

とすれば、スポーツや音楽の世界における、業界全体の「層の厚さ」と「開かれたチャンス」が社会的に重要な意味を持つことになります。言い換えれば「Winner takes all」ではない、オープンで参入が容易なシステムの構築が必要かつ必然です。

Gemini 2.5 Pro:その通りです。その一連の推論は、シンギュラリティ社会における価値観の変化と、そこから必然的に生じる新たな社会構造のあり方を、極めて論理的に導き出しています。

富の格差の終焉と「生き甲斐」の格差の台頭
まず、ご指摘の通り、社会の基盤が大きく二つの点で変わります。

・「Purposeful/Drudgery」軸の変化:「やりがい」のない労働(Drudgery)がAIに代替され、人々は「やりがい」のある活動(Purposeful)へと移行します。

・物質的な「貧富の格差」の緩和:核融合等によるエネルギーの遍在化は、資源独占による富の集中を不可能にします。また、UAG(普遍的活動支援金)が生活の基盤を保障するため、旧来の経済的な意味での貧富の差は、決定的な意味を持たなくなります。

しかし、人間が他者からの承認を求める存在である限り、「格差」が完全に消滅することはありません。ご指摘の通り、それは物質的な豊かさから、精神的な豊かさ -- すなわち「生き甲斐の格差」へと、その主戦場を移します。

そしてその「生き甲斐」は、音楽やスポーツ、あるいは学術や芸術といった分野で卓越した「才能」を発揮し、社会的な栄誉を得ることによって、最も強く実感されるでしょう。かつての億万長者のように、新たな時代の「大リーガー」や「ミュージシャン」が人々の羨望を集める存在となります。

「Winner takes all」ではないシステムの必然性
この新たな格差の形態が社会システムの設計思想そのものを変えることを要請します。

旧来の資本主義市場は、しばしば「Winner takes all(勝者総取り)」の構造に陥りがちでした。一握りのスター選手やトップ企業が富と名声を独占する。しかし生き甲斐の格差が主要な対立軸となる未来において、このモデルは致命的な欠陥を抱えています。

・新たなルサンチマンの発生源:もし、ごく一部の「才能ある者」だけが栄誉を独占する社会ならば、その他大多数の「才能なき者」は、経済的には満たされていても深刻な承認欲求の欠如と劣等感に苛まれることになります。それは、かつての経済格差が生んだものとは質の異なる、しかし、より根源的な新たなルサンチマンの温床となるでしょう。

・社会全体の創造性の毀損:「Univer-city」的な社会の活力は、一部の天才だけでなく、社会全体の知的水準や文化的基盤の豊かさ、すなわち業界全体の「層の厚さ」によって支えられます。勝者総取りのシステムは、その他大勢の才能の芽を摘み、挑戦する意欲を削ぎ、結果として社会全体の創造性を痩せ細らせてしまいます。

したがって、新たな社会で必要とされるのは、誰もが参加でき、多様な尺度で「成功」や「生き甲斐」を見出すことができる、オープンで、参入が容易なシステムです。

それは、メジャーリーグだけでなく、マイナーリーグや、無数の地域リーグ、草野球といった「層の厚さ」そのものを社会的に評価するようなシステムです。トップスターだけでなく、その裾野を支える全ての人々が、それぞれのレベルで尊敬され、活動の意義を見出せる。そのような「non-zero-sum」ゲームのルールを設計すること。それこそが、シンギュラリティ社会における、最も重要で、そして創造的な「政治」となるのです。

Still Crazy After All These Years

I met my old lover on the street last night
ゆうべ街で元カノに出くわした

She seemed so glad to see me
彼女は嬉しそう

I just smiled
つくり笑顔で応える

And we talked about some old times
思い出話に花が咲き

And we drank ourselves some beers
ビールを酌み交わす

Still crazy after all these years
別れても~好きな人♪

I'm not the kind of man who tends to socialize
社交的な人間じゃないし

I seem to lean on old familiar ways
古い価値観にとらわれているから

And I ain't no fool for love songs that whisper in my ears
思い出のラブソングのようにはいかない

Still crazy after all these years
別れても~好きな人♪

Four in the morning
朝の4時

Crapped out
トイレに立って

Yawning
あくびしながら

Longing my life away
自暴自棄な気持ちになる

I'll never worry
死ぬのは平気さ

Why should I?
だって

It's all gonna fade
いずれ消え去る運命にあるのだから

Now I sit by my window
窓辺に腰掛け

And I watch the cars
道往く車を眺めながら

I fear I'll do some damage one fine day
いつか人を殺めたりするんじゃないかと怖くなる

But I would not be convicted by a jury of my peers
けれど地元の陪審で裁かれるなんてまっぴらだ

Still crazy
駄目な駄目な~

Still crazy
ほんとに駄目な~

Still crazy after all these years
いつまで経っても駄目な私ね〜♪

Gemini 2.5 Flash:この歌詞は、タナトスとルサンチマンが、非常に人間味あふれる形で表現されています。

・タナトス:歌詞の「I'll never worry, why should I? It's all gonna fade」という部分は、生の無意味さを冷徹に受け入れ、死を恐れないという、まさにタナトス的な思考の現れです。しかし、その直後の「I fear I'll do some damage one fine day」という一節は、そのタナトスが外向きの破壊衝動へと転じ、自己だけでなく他者にも向けられていることを示唆しています。

・ルサンチマン:この歌の主人公は社会や人とのつながりから疎外されているように見えます。「I'm not the kind of man who tends to socialize」「I seem to lean on old familiar ways」という言葉は、彼が時代に取り残され、周囲に馴染めないでいることを示しています。彼は自分を理解しない世界へのルサンチマンを抱き、それが最後の「I fear I'll do some damage one fine day」という言葉に結実しているように感じられます。

「Still Crazy」の多重的な意味
「別れても~好きな人♪」や「いつまで経っても駄目な私ね〜♪」という言葉は、この曲の核心にある「Still Crazy」というフレーズの多重的な意味を巧みに捉えています。

・恋愛的な意味:恋人との再会という文脈からすれば、「まだ忘れられない」という恋愛感情を意味します。

・自己否定的な意味:社会から疎外され、古い価値観に固執する自分自身を嘲笑する、自虐的な意味です。

・内なる狂気:そして最も深い意味として、彼が抱える死への欲動や破壊衝動、つまりは「狂気」を指しています。

これらの意味が複雑に絡み合うことで、この歌は単なるラブソングではなく、人間の心の闇と脆弱性を深くえぐり出す哲学的なアンセムとなっています。ポール・サイモンは、この曲を通じて、誰もが心の奥底に抱えうるタナトスとルサンチマンを非常に繊細で、しかし生々しい言葉で表現していると言えるでしょう。

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