マーケティングの一側面
永井さんから『戦略プロフェッショナルの心得』をいただき、何度か読ませていただきました。
大学時代に学問としてマーケティングを学んだ身として、懐かしく思う話題もありますし、知らなかったこともたくさんあります。そして何より学問として学んだことが実例として紹介されているような部分は感動しました。ああ、勉強しているときは『マーケティングなんて机上の空論』と言われたこともあるけど活用されているところもあるんだな、と。
それはさておき、本日妹尾さんがこんなことをブログに書いておられました。
結論として言いたかったのは、数字、というのはある面絶対的な存在に感じられるけれど、ケースによってはどうとでも作ることができる、ということである。
抱き込め!ユーザー、巻き込め!デベロッパー > わ!”数字の魔術師(マジシャン)”が来たぞ!騙されるな! : ITmedia オルタナティブ・ブログ <http://blogs.itmedia.co.jp/usrtodev/2008/11/post-a062.html>
先述の戦略プロフェッショナルの心得では、第一章が「第一章 市場と顧客を理解するために」となっています。この章では他の章に先立って市場調査などを通じて市場を理解することの大切さが説明されています。マーケティングというと派手な宣伝や商品開発などに目を奪われがちですが、リサーチのところがまず一番に説明されているところがすごいと思いました。
自分が学んだ知識を紹介させていただきますと、マーケティングは20世紀初頭のアメリカで発達したとされます。
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大量生産のための技術が整備された事と、鉄道網が整備された事により、アメリカ国内では消費のスタイルが大量生産・大量消費に切り替わります。
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これにより以前とは比較にならないほど大量のものを作り、売ることができるようになりますが、同時にものが余るという現象が発生します。
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鉄道輸送に要する時間と倉庫の制約から、足りない地域へ在庫を移動する、在庫が切れないようにする、などの「物流(ロジスティクス)」の考え方が発達します。(4PのPlace)
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更に在庫状況の監視から、売れる商品を予測したり(Product)、在庫を抱え過ぎないように価格を調整したり(Price)、在庫を解消するための販売促進策(Promotion)を考えたり、といわゆるマーケティング的な手法が花開いていきます。
何年も前に学んだ事ですし、20世紀初頭の古い話ですので異説は各種あると思いますが、おおむねこういった流れでマーケティングが進化していったとされます。その前提となるのは広大なアメリカ大陸の広大な市場にどうやって商品を販売していくか、ということでした。ここからマーケティングはスタートしています。
それまでの一個人や一都市の中でやり取りされる量とは比較にならない大量の商品が取引される事になりますので、勘や経験では商売を成功させることは難しかったでしょう。また、商品こそ大量生産による単一規格品ですが、市場は東海岸から西海岸、北部州から南部州まで非常に多様です。今の日本のようにトラックが走り回って配り切れるような広さではありませんから、鉄道を中心とした輸送を考えなくてはなりません。鉄道はダイヤが決まっており、輸送できるタイミングは数日に1回などシビアなものになります。そのため、最低限のラインとしてそれぞれの市場での売れ行きと在庫を細やかに把握しておく必要があったことでしょう。(アメリカのこの時代の背景についてはNHKスペシャル「世紀を超えて」プロローグの「20世紀 欲望は疾走した」を見ることをおすすめします)
そういった背景からしてマーケティングの基本となるのはマーケティングリサーチであり、どのようにリサーチを行なうか、リサーチ結果をどう読み解くか、というところが非常に重要になってくるというのは永井さんの著書の第一章にも記載の通りであると思います。しかしながら、妹尾さんのおっしゃる通りに先に計画ありきの考え方で、都合の良いリサーチ結果を持ってきてしまうということが起こり得ます。
マーケティングを学んで私が一番素晴らしいと思ったところは、マーケティングの理論に基づいて作成した計画は、他人と客観的に議論をする下地になるというところです。
確かに、自分がそうしたいと思うことがあったならば、4Pやら4Cやらを持ち出して理論武装をすることでマーケティングに造形のない人を説得する事は簡単でしょう。しかしマーケティングに詳しい人を連れてきて、その下地となるデータの検証を行った上でマーケティング戦略のチェックを行えば間違いを見抜くことができます。もしこれがマーケティング的な論理を持ち合わせず、推進者の熱意とやる気でステークホルダーを説得するのであれば、誰も検証を行なう事ができません。また、事後からの反省も不十分になってしまいます。
確かにマーケティングの理論を持ち出して武装すれば説得力のある資料を作ることができるでしょうが、同時にマーケティング理論に基づいた検証という攻撃に身を晒す事にもなります。母数をいじるなどして前提となる調査自体を細工しまうということは検証が難しいかもしれませんが、新旧の調査結果を見比べたり、別の調査主体のデータと付き合わせることで調査自体に問題があることに気付くチャンスは少なくありません。それは論理に基づかない計画を進めるより遥かにましだと言えるでしょう。
マーケティングではあまり難解な数式などは好まれず、むしろ直感的に理解可能な図表であったり、物事を4つくらいの要素で無理やり分解してしまうような操作が好まれます。それはマーケティングのプロフェッショナルだけでなく、多種多様な分野のプロフェッショナルを巻き込んで様々な意見を戦わせるための土台を作り、十分な検証を受けることこそが良い戦略を作る条件であるからではないかと思います。そうすることで多くの利害関係者が納得し、合意した戦略を作成することができます。自分が理解できない戦略を押し付けられることは誰もが嫌ですが、自分が納得し、成功に確信を得られる計画ならば全力で打ち込むことができます。それがマーケティングの力であると思います。
そういった観点からすれば、調査結果の母数を意図的に遮蔽するということは非常にマーケティング的でない行為であると言えるでしょう。めっ。