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頑張ったけど成果が出なかった

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オルタナティブブログで「頑張る」ことが話題になっています。

頑張っているのは貴方だけではありません。トラパパ@TORAPAPA
頑張っている人大好きです!でもプロには成果を求めているマリコ駆ける!
「失敗しましたが、頑張ったことは認めて下さい」シロクマ日報

私は今新入社員の育成指導をする立場にありますので、しばしば「頑張ってね」と励ます事があります。今やっていることを好意的に評価し、ねぎらい、これからもこの調子でやってね、という気持ちが込められています。「もっと努力しろ」という場面では使いません。また、先輩に対しては、例えば休日出勤してハードウェア周りの作業に立ち会うということがあると「明日は頑張ってください」などと言わず「よろしくお願いします」と言うことが多いように思います。この「よろしくお願いします」の『よろしく』というのも「頑張ってください」というのと同じくらい気になる言葉ではあるのですが、それはまた今度の機会にします。

さて私は過去の経験から「頑張ってください」という言葉に引っかかるものがあります。トラパパさんの

頑張っているけど成果がなかなか出ない。あるいは、頑張ったけど成果が出なかった。で、期待に沿わないことを告げると、「頑張っているんです/頑張ったんです」と言い返されることがあります。

というところを読んでそのときの事を思い出しました。

私は大学時代にとある家庭教師の事務所でアルバイトをしていました。教材を高値で売りつけたりしない普通の企業です。主なアルバイト内容は家庭教師の先生の勧誘と生徒の勧誘、ならびにそのマッチングです。平日の昼間に近所の大学に先生を勧誘しに行くのですが、ある大学の近くで勧誘をした際におかしなことがありました。「家庭教師の●●です」と言うと反応がとても冷たく、立ち話も聞いてもらえません。最終的に勧誘人数の目標に未達のまま事務所に帰ることになるのですが、ある学生さんからこんな事を言われました。「あなたのところの事務所で家庭教師する人なんていませんよ」と。どうやら以前に勧誘で嫌な思いをされた人がたくさん出たらしく、その噂が噂を呼んで広まってしまっていたようです。

その事を聞きながらも、自分のスキルがもっと高ければ目標に達したはずだったのになー、と馬鹿正直に落ち込んで事務所に帰りました。案の定、先輩アルバイトに怒られました。「俺がバイト入りたてで勧誘に行ったときはノルマの倍取ってきたぞ。ノルマを達成するのが仕事なんだ。取れなくてどうする。」という旨のありがたいお言葉です。ご本人からその時の武勇伝を聞いていると、帰国子女で日本の高校に高3の1年しか通っていないAO入試の人(すなわち日本史や漢文などは全然だめ⇒うっかり派遣してしまいトラブルに発展)を家庭教師登録させたとか、講義に遅れるからと逃げられそうになってもしつこく勧誘したとか、学食で食事中の人を勧誘した、とかでした。他の要素とも合わせて考えるに、この人およびその周辺のノルマ命なバイトが悪評を振りまいた事は間違いなさそうです。 で、この人が説教の最後に言った事が「もっと頑張れよ」でした。私としては、どうしようもなく悪評が立ってしまった状態の、自分自身では左右しようのない要素のもとでかなり頑張ってきたつもりだったのですが、悪評の張本人からはそれが頑張り不足であるように見えてしまったのです。この心の行き違いは決定的で、後日バイトを辞める大きな原因となりました。

この点について本日シロクマ小林さんの

「結果は失敗でした。その原因はAという行動を取ったことにありますが、これはBという状況に対して、Cという判断を下したためです。どこにミスがあったかご教授下さい」

という部分には感銘を受けました。実は私は先輩から説教された時点では「頑張ったんですけど無理でした」ということしか言い訳できなかったのです。そこに先輩からは「頑張りが足りない、もっと頑張れ」と言われてしまったのでした。頑張るということは、心を込めて、大げさに言えば心血を注いで何かをするということです。ですので本人が心から「頑張った」と言っているのであればそれに「頑張りが足りない」というのはモチベーションを下げる大きな要因になると思います。このとき私は結果はともかくとして正しい判断をしてきたつもりだ、という自負がありました。 マリコさんが

仕事においてプロセスも成果もどちらも大事。でもプロは成果を出すためにプロセスに集中し、プロ手前の人は、成果よりいつのまにかプロセスのほうに気がいってしまっているのかもしれない。

というように仰っていましたが、家庭教師の教師登録を新規で50件取って来るという行為は、成果では無くてプロセスであると言えます。私にとって最終成果というのは、質の良い家庭教師を相性のよい生徒に派遣して満足してもらうことだと考えていました。勧誘でノルマをこなすというプロセスに気がいってしまい、良い家庭教師が集まらなくなってしまったら「頑張りました」といのは自己満足にしかなりません。そのことをすっ飛ばし、プロセスに対して「頑張る」ことで教師候補者の気持ちを荒廃させてしまったとしたら、それは意味の無いことだったのではないでしょうか。 と、大学生のバイト風情が偉そうにも考えたわけです。

頑張るというのはゴール設定をして、それに向かって全力で取り組む事だと思います。私の経験からしてそのゴール設定の認識がずれた人間同士で「もっと頑張れ」とか「頑張りました」と言い合うのは危険な行為であるように思います。おそらく、私が「もっと頑張れ」と言われたときに感じた「自分なりに頑張ったのになぁ。」というガッカリと同じくらいのガッカリを先輩も感じていた事だと思います。先輩は、「お前はノルマも達成できずに何を頑張ってきたつもりだ?」と思ったことでしょう。確かに私がノルマ達成を無視して丁寧に勧誘をしたことは、上意下達、ノルマ絶対厳守という組織では許されない事です。反対に、個々人に大きな裁量権を与える組織では正しい行動だったと言えるでしょう。そういった組織環境の違いや、個々人の価値観の違いにより、「頑張る」という言葉は言う側と聞く側で意図するものが変わってしまう事があるのだと思います。頑張れと言われた側のときは、その裏にある相手の期待を感じ取る事が重要で、頑張れと言う側のときは相手が何をゴールに設定しているかと感じ取る事が重要だと思いました。特に間違ったゴール設定をしている人に「何やってんだ。もっと頑張れ」という事の危険度は大きいのではないでしょうか。

しかし最後にわが身を振り返ってみると、自分も後輩にねぎらいで「頑張って」と言っているつもりになっていますが、どう受け止められているか心配になってきました。今後は自重したいと思います。

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