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「失敗しましたが、頑張ったことは認めて下さい」

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昨日に引き続き、オルタナブロガーの皆さまの議論にのっかってみます:

頑張っているのは貴方だけではありません。 (トラパパ@TORAPAPA)    
頑張っている人大好きです!でもプロには成果を求めている (マリコ駆ける!)

「頑張ります」「頑張ったのに」という言葉について。お二人が指摘されているように、この言葉は言い訳に使われることも多いですよね。

で、期待に沿わないことを告げると、「頑張っているんです/頑張ったんです」と言い返されることがあります。努力は認めますし、リスペクトもしてますが、こう言う姿勢は正直言い訳の域じゃないかと思うのです。      
トラパパ@TORAPAPA

でも、「頑張る」という言葉は「成果がでない」という言葉と対に使われることも多い。      
「頑張ったんですけど、目標に到達できませんでした」      
「成果はでなかったんだけど、頑張ったことは認めてください」      
マリコ駆ける!

この辺りが、会社における「頑張る」という言葉に対する評価が分かれる理由かもしれません。仕事なんだから頑張って当然、そんなことを口に出すのは結果でアピールできないからだ、というのは確かに同感です。

一方で、仕事の評価を行う場合、結果だけを見るのも酷かなと思います。どんなに「頑張って」も、結果を出せないときはありますよね。それが言い訳になるかどうかは別にして、純粋に運が悪かったというときもあるし、会社のサポートが十分でなかったという状況もあるはずです。なのに結果だけを見られて評価されるとしたら、どうしますか?――僕なら期首の目標設定を低くしたり、難しい仕事にアサインされるのを避けたり、能力の低い人と組むのを避けるようになるでしょう。

ちょうどいま『実行力不全』という本を読んでいたのですが(以前みずほ情報総研の吉川さんが書評を書かれていましたね)、その中にこんな一節があります:   

結果を評価されると、人は厳しく管理されているというプレッシャーを感じる。もっと作業中の行動を評価してほしい。GMの作業員は、トヨタの作業員より管理の厳しさを実感しているはずだが、実際には、トヨタのほうが管理は厳しい。結果のみを評価し、作業の途中を評価しないと、ストレスやフラストレーションが生まれるが、管理が行き届いて、成果を上げている現場では、それほどストレスにはならないことがわかる。

(中略)

GMの例からもわかるが、結果ばかりを詳しく評価しても効果は上がらない。作業のプロセスを評価し、わかりやすい情報を与えると、それが行動の指針になる。

「頑張りました」を言い訳で終わらせないためには、仮に報酬は結果に連動させるにせよ、プロセスに対する評価/フィードバックが欠かせないのではないでしょうか。「そう、頑張るの/頑張ったの。それじゃ具体的にどう頑張るのか/頑張ったのか教えて?」という態度ですね。

そのためには、従業員の側でも 

「失敗しましたが、頑張ったことは認めて下さい」

というセリフで終わらせるのではなく、

「結果は失敗でした。その原因はAという行動を取ったことにありますが、これはBという状況に対して、Cという判断を下したためです。どこにミスがあったかご教授下さい」

などという報告を行うことが必要ですよね。あ、これって結局、「頑張ります」「頑張りました」という言葉不要論、ってことになるか。ということで、明日から「頑張ります」と言わないように頑張ります!

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