公共交通機関利用時に求められる「会話は控えめに」は、どの程度の節制を求めているのか分かる人いますかね?
緊急事態宣言の時、「要請」には強制力が無くさまざま混乱が生じました。
そして特措法のあり方について見直しの議論を呼び起こす事となっています。
緊急事態宣言が解除され、新しい様式の一つとして、公共交通機関を利用するマナーに「会話は控えめに」という記載があります。
鉄道利用者の皆様へ(新型コロナウイルス感染症対策の利用者向け情報)
新型コロナウイルスの感染リスクを低減し、安心して鉄道をご利用いただけるよう、国土交通省と各鉄道事業者とが協力して対策に取り組んでおります。利用者のみなさまにおかれましても、
- マスクを着用し、会話は控えめにしていただく
- 車内換気へのご理解・ご協力をいただく
- 混雑を避けた時間帯・車両をご利用いただく
といったコロナ時代の新たな利用スタイルの実践にご協力をお願いいたします。
「控える」の意味を調べると、このような記載を見つけることができます。
㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。「酒を―・える」「塩分を―・える」
㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。「外出を―・える」「発言を―・える」
今回の要請はどちらかと言えば㋐の節制型をイメージする方が多いのではと考えますが、これまた人それぞれの節制のイメージがありそうです。
また言葉の解釈次第ですが、車内での会話を㋐の「控える」で考える人、㋑の「控える」で考える人ではその行動に明確な差が生じるてしまうでしょう。
残念ながら解釈の幅のあるこのメッセージからはどの程度の節制を求めているのかが伝わらないように思います。
世の中すべてがテレワークで成立しないですし、22日からは「Go Toキャンペーン」も開始されます。
このような状況下においては、個人的な主義主張はあったとしても、公共の場ではより多数の人が安心できる行動様式を選択することが望まれるのでは?と自分は考えるのですが、これも同調圧力とか自粛警察に分類される考え方になるのでしょうか。
5月の頭には「オンライン帰省」を推奨していたのが、7月には「Go Toキャンペーン」という様変わり。
マスクの着用も言葉の定義としてはあくまでお願いのレベルではある訳ですが、「自粛と補償はセット」という主張がありました。
電車で会話を禁止しろとまでは言いませんが、大多数の人間が旅行して経済活動に貢献する役割が求められているのなら、「公共交通機関を利用するならマスク着用」はセットにしといたほうが、後々引き受けるダメージが少なくて済むのではないか?と考えます。