「ONE TEAM」ブームから考える、日本の会社員をプロスポーツのチームやら、オーケストラなどに見立てる考え方、もうやめませんか。
『「ONE TEAM」を連呼する会社の上司が信用できない』という記事を見る機会がありました。
こちらの記事では、こんな指摘をしています。
もともとわが国では、チームと組織・集団とを区別せずに使われることが多い。そしてチームワークといえば「自分を殺す」ことだという思い込みがある。いわゆる滅私奉公や自己犠牲はその延長線上にある。
それをあえてチームワークと呼ぶとすれば、「共同体型」のチームワークである。職場の同僚たちは、たまたま一緒になった人たちであるにもかかわらず、共同体のような一体感と、和や序列を守ることを最優先しなければならない。
このような「共同体型」チームワークは少品種大量生産型の工業社会では通用したものの、IT化やグローバル化によって時代遅れとなった。能力や経験、考え方も似通ったメンバーが、一糸乱れぬ統率のもとに行う仕事の多くは、ITに取って代わられ、あるいは労働力の安い国の人々に委ねられるようになったからである。
チームワークとは本来、自律したメンバーがそれぞれの個性や強みを活かしてチームに貢献するところにある。その象徴がONE TRAMだったと言ってよい。
ここでは自律という言葉が使われていますが、スポーツ選手は対価を得て自立する必要のある個人事業主ですから、そもそも日本の職場にこのような考え方を持ち込むことが馴染まない側面があったりしないでしょうか。
100歳時代ということでの定年延長、役職定年後の給与金額の減額を巡る裁判の結果やら、最近のパワハラに関して政府まで介入している世の中の流れを見るに付け、サラリーマンの方々の生活を成り立たせるための社会的な施策と、プロスポーツ選手を初めとする、フリーランス生活者との違いを感じます。
今更言うまでもなく、スポーツ選手を初め、フリーランスで働く人たちは、期待に応えられなければ契約切られるリスクと向き合う毎日を過ごし、次の契約では減額される場合も当然あります。
契約を切られるのは、自分の成績が悪かっただけでなく、会社側の都合で有無を言わさずというケースも多々あります。
成績が悪かったというのが合理的な減額理由となるのかもしれませんが、サラリーマンの方々が法的に守られているのとはまったく別の世界がそこにはあります。
当ブログの読者の方であれば、わたしが54歳にして会社に勤めたことがあるのは、20歳のときに半年だけ契約社員をしたことだとご存じかと思います。
このような経験から現在の社会の向かっている方向性について、いろいろ感じるところはありますが、今日書いたこの記事でフリーランスや自営業者の待遇改善を言いたい訳ではありません。
言いたいのは、スポーツ、音楽それぞれにチームで働く場合は、期待されるパフォーマンスを発揮するのが当たり前で、それができなければすぐクビが当たり前の世界であり、それを、無期雇用を前提として、休業やら休職しても様々な補償制度がカバーしてくれる人たちをプロのスポーツ選手のチームに例えるのは、実は無理があるのではないかということ。
プロジェクトにおけるチームメンバーの編成をプロスポーツのチームやら、オーケストラ、バンドに見立てた考え方については、以前は自分もこういう例え方をしていた時期もあったのですが、よくよく考えると前提が根本的に違うかも...と感じたので書いてみた次第です。