ロバート・ライシュによる汚職の定義から考察する、行政手続きのデジタル化と書面に押印する「はんこ文化」の両立を目指すという方針への懸念
■面倒なのは捺印よりも自署
IT担当相に就任した竹本直一氏が記者会見で、行政手続きのデジタル化と書面に押印する「はんこ文化」の両立を目指す考えを示したことで、いろいろ物議を醸しているようです。
ハンコ文化は、商取引からは一刻も早く無くすべきものという指摘も見られますが、はんこが停滞をもたらす場面はどのような場面があるのか改めて考えてみました。
自分の経験から感じるのは、
捺印が必要な書類なのに、印鑑を持っていないために事務手続きを完了できない。
↑このような場面に遭遇すると自分は非常にストレスを感じます。
気がついたのは、実際の書類が到着しないことには手続きが進行しないというのは、現物主義の問題なので実は捺印は無関係ということ。
このように考えると自分がやるべき手続きに判子を忘れる事を回避する手段がデジタル、アナログの手法はどちらでも良いので提供されれば、わたしたちのストレスは軽減できると言えないでしょうか。
最近、93歳になる母親が体調を崩したことで金融機関でいろいろな手続きをすることとなりました。このような事務的な処理の中で、押印済みで代理人の身元が証明できることで事務手続きができることの利便性があることを感じたこともあります。
一連の手続きの中で一番苦労したのは、自署が求められる書類の多さでした。
自署のほうが苦労するぞ問題、認知症や後見問題に接したことがあるなら共感していただけるのではないかと思います。
■判子が手間の原因なのか?
普段自分はIT業界の片隅で仕事をさせてもらっており、押印した紙を郵送しないと処理が進まないという事に対してはPDFで良いのでは?と考える立場です。
日本の商習慣上、判子が大事というのならデジタルの印影公的な文書などでも認めてくれることで、判子文化継承への批判を低減させることも可能ではないかと思ったり...
具体的な作業を確認してみましょう。
- 請求書を印刷し捺印した書類を郵送する。
- デジタルの印影付き請求書をPDF出力してメール送信する。
出力と郵送コストの削減につながることが分かります。また実務に関わる人的作業も会社経費として負担が生じるていることが分かります。
常にカイゼンを求められ、できるだけ無駄なコストをかけない経営を求める場合、紙の出力や押印を含めた発送作業に関わる人的コストと郵送コストはカイゼンの対象とされるでしょう。つまり押印の有無というよりも関連する作業の削減インパクトは大きいと言えるのかもしれませんね。
前項でも触れたように、印鑑が仕事の停滞をもたらす場面は、必要とするときに物理的な印鑑が無く本人確認が出来ない、もしくは捺印が無いことで書類の受け取り要件を満たせず手続きが進まないケースが多いのではと考えます。
このような状況に陥る前提として2つの側面が想定されると思います。
- 印鑑の必要性が説明されていなかったから>手続きを求める側の問題
- 印鑑を忘れた>手続きをする側の問題
やはりどちらのケースでも、印鑑忘れたときの代替手段が用意されていれば問題解決に至るような気がします。
■大臣発言の気になるところ
判子が必要と言われてストレスを感じる場面を改めて考察すると、代替手段があればその不満を解消できる可能性が見えてきたように感じます。
ですが、民間人登用、業界団体と関係のある人物が政治の中枢に関係することで政治や経済の問題に発展したケースを忘れることはできません。
つい最近、アマゾンのプライムビデオの「ジャイアント・ビースト ~グローバル経済の謎を解き明かせ~」という番組を見ました。
エピソード8で、アメリカ合衆国労働長官を歴任している。ロバート・ライシュ氏が主張する汚職の定義を知ることで、今回の行政手続きのデジタル化と書面に押印する「はんこ文化」の両立を目指す考えについて不安を感じました。
ロバート・ライシュによる汚職の定義
- 汚職とは支払いを指している
- 社会が違法と見なすものへの対価
- 大多数の人が買うことも売ることもよしとしないもの
- 大多数が間違いだと感じることが汚職
- 法に反していなくても法の精神に反すれば汚職
- 経済において汚職は巨大な負の存在
- 汚職のはびこる国は経済成長が遅く貧困から抜け出せない
行政手続きのデジタル化が「はんこ文化」の両立を目指したことで、経済成長の遅延の原因になったり、余計な税金を投入することにならないことを期待します。