『主戦場』に感じる素朴な疑問
■作品との出会いと浮かんだ疑問
こちらのニューズウィークの記事を読み『主戦場』という映画の存在を知りました。
そして、見出しにある
左右両派が登場する慰安婦映画『主戦場』。なぜ日系アメリカ人監督はこんな作品を撮れたのか
↑これはわたしにとっても興味が湧く問いかけでした。
当該記事では
「撮影当時は大学院生だったので、相手の言葉をねじ曲げるようなことをすれば、自分の学者としての信頼に関わった」と、デザキは言う。「だから取材したい人には、『双方の意見を映し出す映画にしたい』とアプローチしていた」
このような解説があり、まずは映画を見てみることに。
で、実際に映画を見たことで、改めて
なぜこんなインタビューが収録できたのだろうか?という疑問を大きく感じました。
■収録された発言に対する素朴な疑問
わたしは慰安婦問題を議論する知識を持ち合わせていませんが、映画に登場する歴史修正主義者と紹介される人たちの発言内容にはこちらのリテラが書くように、イデオロギーを抜きとしてもトンデモ発言と感じる箇所が幾つか出てきます。
ですが発言者は映画としてこれが公開されることは認識しているはずなので、なぜこんなインタビューが収録できたのだろうか?という疑問はさらに深まることに...
そして、わたしが感じた最大の疑問について、日刊サイゾーに監督の言葉として、
こんな記述を見つけることができます。
ミキ・デザキ「マイケル・ムーア監督は最初から結論ありきで、一方的な立場から描いています。そうすればエンターテイメント性のある、面白おかしいものが撮れることは分かります。でも、それではプロパガンダ映画になってしまいます。
(中略)
出演者の中の数人からは、公開前に完成したものを見せてほしいと言われましたが、見せることで内容を修正することは断りました。それではジャーナリズム性を損なうことになりますから。どうしても見たいという人には、その人の出演したパートだけ見せるようにしました。不満がある場合はエンドロールでその旨をクレジットすると伝えましたが、特に不満を伝える連絡はなく済んでいます」
このサイゾーの記事で伝えられているポイントはこの3つ
- 公開されている内容についてインタビューされた側の意向による修正は行っていない(あくまで制作側の意図に沿った編集が行われている)
- その人の出演したパートだけに限定してインタビュー内容の確認には応じている
- インタビューした相手から特に不満を伝える連絡は無い
この2つの記事にある記述だけであれば問題解決だったのですが、wikipediaを見たことでわたしの疑問はさらに混沌としたものになっていきます。
■保守系からの制作手法への反発
『主戦場』を紹介するwikipediaにはこのような指摘があります。
インタビュー取材の際に「卒業制作」のためとしか説明せず、一般公開予定作品であることを伏せていた
リンク先にはミキ・テザキ氏からのメールが紹介されています。
当時の取材依頼メールで出崎氏は
取材は 「卒業制作であるドキュメンタリーのビデオ」 であり、「大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。また、これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」、「 公正性かつ中⽴性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして⼤学に提出する予定です 」
と説明しました。その後、卒業プロジェクト完成の連絡はありませんでした。
この他「正論 6月号」ではケント・ギルバート氏は、大学院生が映画を作っているということで、2年半前の夏にインタビューに応じたことと、裏切られた期待として以下のような感想をのべています。
慰安婦問題について、対立する両側の見方を紹介するというのはあっていいと思います。しかし、「バランス」の取れた映画にするのなら、それぞれの見方を順番にロジカルに、最後まで冷静に並べていくというのが正統なドキュメンタリーのあり方でしょう。
このように前述したサイゾーの記事と出演した人たちの反応を検証していくと、双方の主張には大きな隔たりがあることがわかります。
■御本人にメンションしてみる
わたしは慰安婦問題を議論したりする知識を有していません。ですので双方の主張について触れるつもりはありません。
当初感じた疑問について、監督は「特に不満を伝える連絡は無い」としながらも、保守系の人たちが制作手法について相次いで不満や批判を表明している点が残念だと感じています。
ただテーマの性質上、正攻法では相手が本音を語らないという場合もあろうかと思います。
この辺が素人には判断がつかないので『主戦場』への疑問はくすぶり続けているというのが正直なところ。
『主戦場』はドキュメンタリー映画、そしてディベート映画としてメディアで紹介されいます。そして監督自身もプロパガンダ映画にはしたくないと発言しているだけに、途中紹介したような取材経過と方法がドキュメンタリーやジャーナリズムとして問題は生じないのかが素人ながらに気になるところ。
その辺の認識について監督のミキ・デザキ氏に直接確認できるかな?と思い、Twitterでメンションしてみたのですが、現時点で残念ながら返事をもらうことは叶っていません。
@MedamaSensei 映画を興味深く拝見させていただきました。このようなインタビューが実現したことに驚いているのですが、こちらの指摘は事実でしょうか? 可能であればお返事いただけると嬉しいです。https://t.co/1BRttBOVPk
-- Yasuhiko Sasaki (@yasusasaki) 2019年4月28日