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イチローが指摘する"頭を使わない野球の時代"から予見する今後の社会課題

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イチローの引退会見から10日あまりが経過しました。

引退会見の記事や映像を見たなかで、とても気になったのはこの発言の部分。

2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような......。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。本来は野球というのは......ダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな。頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから。その野球がそうなってきているということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います

会見の時にはご本人が言及を避けていたのであくまで予想ですが、解析データを利用した現代風の野球についてのかな?と、とても気になりました。

なぜ気にしたのかと言うと、ここ数年、人工知能が仕事を奪うに始まり、統計学などデータ活用の重要性が報じられない日は殆どなく、日本政府がAI人材を年25万人育成するという戦略案を公表するご時世であり、

その行く末を暗示するような事が含まれているのでは?感じたからです。


イチローは30歳手前で行った矢沢永吉との対談番組で、大リーガーと比較して、肉体的な面はさておき、日本の野球選手は頭を使うという話と、大リーガーが日本人選手のように頭を使いだしたら敵わないだろうと、こちらの動画で語っています。

冒頭紹介した引退インタビューで、アメリカ野球が頭を使わずにやれるように変化してしまったとイチローは指摘し、この発言に関しNHKの番組では、こんな解説をしています。

    • ビッグデータ時代によって野球が大きく変わってきた
    • コンピュータサイエンスの発達があり、球団がビックデータ解析を行うようになった
    • 理由が与えられるわけではない(投球や守備、打撃の指示)
    • 選手にフィードバックされるものでもない
    • 結局球団の財産としてデータが蓄積されていくなかで、指示に従うだけの野球になってきている
    • 結果としてファインプレーが生まれにくくなっていく確率が高まるのでは?

ここに列挙された内容は、やはり今後AIなどが判断した内容に従うような仕事のあり方や、データ重視の仕事の進め方として懸念される事柄を示していると感じます。


映画 マネーボールは見てはいましたが、今回の件でもう少し詳しく知りたいと思い、こちらの記事を見つけ「セイバーメトリクスの落とし穴」という書籍を読んでみました。

同書の中からイチローが指摘した部分と、ビジネス界が今後遭遇するであろう状況を予想するのに役に立つと思われる部分を紹介します。

  • データをもとに最も効率的な野球を展開するのはマネジメント・経営サイドとしては当然だが、本当にファンが求めている野球とは何なのか、エンターテインメントと結果重視のバランスを再考する段階に来ている。選手からも不満の声が漏れているようである。(P27)
  • こうして様々な側面で野球が洗練されてくると、理論的なゴールは似たものになってしまう。マーケティングでよく言われる「正解のコモディティ化」である。最終的には誰もが同じようなことをやる中での厳しい競争となるから、最近の選手たちは真剣にトレーニングに取り組む。昔のように「二日酔いでホームランを打った」といった武勇伝を聞くことはもうないだろう。(P30)
  • 才能にあふれたトップアスリートの誰もが合理的なトレーニングを行うため、精神面が勝負を分けることも多い。身体が強くコンディションをコンスタントに維持でき、メンタルトレーニングもきちんとして互角の戦いを抜け出せる者が最後は勝つだろう。ここまで方法論がハッキリしてしまうと、結局差がつくのは元からの才能という、逆説的で残酷な世界になりつつある。(P38)
  • 何事でもそうだが、経験、鍛錬を積んだ人間の感覚や勘の精度は素晴らしいものだ。(中略)こうした属人的な要素は、ハイレベルの世界になればなるほど不可欠となる。データや数字が独り歩きして、こうした要素を軽視しすぎている昨今の風潮にも疑問符をつけざる得ない。(P183)
  • データは決して万能ではなく、どんなに高度な統計技術を用いても、主観やバイアスが入るリスクは消し去れない。元々のデータ自体が事実を100パーセント表現しているとも言いきれない。(P282)
  • 「結果」ばかりを見ていると、本質を見失ってしまう。(P283)
  • データ分析それ自体はそこまで客観的ではないため、その解釈やセンス、切り口が重要なのである。(P283)
  • 一般的に、データを見る人ほどその有効性を過大評価し、また全ての要素を均しすぎて個別具体的なケースを全て無意味だと切り捨てる傾向がある。(P291)
  • 得点をより多く、失点をより少なくすることが勝利に繋がるのは否定しないが、(中略)近年の野球はいささかデータアナリストのおもちゃとなりすぎている。(P292)

以前にこんな記事を書きました。

米国と比較して日本ではデータ活用自体が遅れており、上記のような悩みを抱えるのは相当先になるのかもしれませんが、頭を使わずに仕事ができてしまう時代への警鐘として上記は示唆に富む内容だと考えます。

この他にも書籍「AIと憲法」ではAIネットワーク社会における自己決定権やブラックボックス化の問題を指摘しています。

ここから見えてくるのは、データ活用が本格化するなかで、人間が頭を使わなくなり、機械が判断することに従う構造への転換と、その流れにおいて人間が自己決定権を失うことでどのような影響を受けるのかを示唆していると考えます。


今後、大きな資本を有する企業が優秀な人材とAIやデータを活用して、圧倒的な優位になった場合にどんな社会になるのでしょう?

テクノロジーの進化により、大多数の人間が殆ど考える必要と職を失い、ベーシックインカムで暮らす社会は労働は苦役だと考える人からすると理想の社会かもしれませんが、これを受け入れがたいという層も一定数存在すると考えます。

最後に、ID野球で有名な野村克也が、松下幸之助のこの言葉を紹介しているということも取り上げておきたいところです。

「"勘"というと一般的になんとなく曖昧なもののように思われるけど、習練を積み重ねたところから生まれる"勘"というのものは、科学も及ばない正確性、適確性をもっている。そこに人間の習練の尊さというものがある」

(文中敬称略)

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