「意を決してバレンタイン廃止」と「年賀状を書かないことの不義理に悩む93歳」から考えること
1965年に生まれ、中学高校の影響を受けやすい時期に70年代後半と80年代という何とも形容しがたい時代とそれ以降に起きたバブル時代を経験したからこそ、こっから先は質素とか、シンプルなのでいいや...と思う自分がいます。
他方、そういう経験をしていない世代の人たちにとっては、いきなり清貧の思想みたいなのを押し付けられても納得いかないのは理解はできます。
わたしが子供の頃は商業主義に対する批判がいろいろあったのだけど、赤字だったオリンピックが商業化して成功するなど、儲かることの重要性に気が付き、社会全体の考え方がゆっくりではあるけれど、確実に変化が起きたと認識しています。
戦後の焼け野原で大多数の人たちは物が無いところからリスタートで、どんどん物を買う時代になり、それが飽和した現代においては、いかに無駄かもしれないものに価値を見出して購入してもらうか?
もしくは「必要だ」という社会認識の醸成に成功するかが、企業の収益に直結、それは当然働いている人の給与にも連動しつつ、日本の景気にも連動していく話であり、お金を使わないことは社会に対して悪影響の側面があることも事実です。
田舎に住む母親が、手紙代わりに自分の気になった新聞記事の切り抜きを不定期に送って来てくれます。
多分最近の朝日新聞だと思うのですが、その切り抜きの中に職場のバレンタイン文化を廃止したという投書があって、目に止まりました。
「意を決してバレンタイン廃止」
女性社員の方々がお金を集め、下っ端が代表して男性へのチョコを準備するという慣例を思い切って廃止したけど、誰も不平は言わなかったという話です。
投書には、集金の手間であったり、休日を使って混雑する特設会場で上司の嫌いな種類のチョコレート選びをしたことが負担として書かれています。
この出来事から男性側もホワイトデーのお返しを面倒に感じていたということが明らかになったとのことで、これはわたしの予想ですが、バレンタインのイベント中止することでホワイトデーの社内イベントもなくなったのではと推測しています。
働き方改革とか、生産性向上が叫ばれまくっているここ数年、日本のホワイトカラーの生産性は特に低いことが指摘されています。
有限な勤務時間をこういう事に使わなくなることで、いろいろ負担がが減るよねという賛成派もいれば、こういうコミュニケーションが大事だという擁護派どちらも出てくると思います。
チョコレートやクッキーの業界としては、絶対阻止したい流れだろうとは思いますが、この手のイベントやらを減らすことによる経済的なデメリットと、個々人の負担の軽減のメリットのバランスどんなもんなのでしょうね?
以前にブログでコンビニのクリスマスケーキの廃棄問題について書いたことありましたけど、恵方巻きの廃棄問題も役所が声明だすレベルになっているけどやめれなくなってますよね。
この新聞の切り抜きを送ってくる母親が、
「さすがに93ともなると年賀状を書くのが面倒で今年から年賀状は辞めた、でも失礼になると申し訳ないので電話した...」
と正月に会話する機会がありました。
昭和一桁の人々にとって年賀状を出さないことで不義理になるとか、自分が失礼な人物だと判断されることにその年齢であっても不安を感じるのだな...と意味驚きました。
言うまでもなく年賀状を書く、書かないの議論も毎年繰り返されているネタであり、ここ最近は配達の負担の問題も顕在化していますね。
会社の中にも何のためにやっているのか意味不明な事が沢山あって、それも併せて改革しませんかってのが、求められているんじゃなかったでしたっけ?
経済発展を不要だとは言いませんが、儲けるための仕組みに働く側、消費者、国民としてなど様々な立ち位置でどのように関わっていくのが良いのかな?って、
企業の側としては止める訳にはいかないのでしょうけど、廃棄問題やら、取り上げた新聞の投書のような取り組み、そして90過ぎて年賀状の呪縛から離れた母親を見ながら、あらためて自分なりの取り組みを考えてみたいかなと思います。