知的生産現場を支える労働者の労働環境はどのようにしたら改善できるのか。
漫画家の方の働き方改革の話と、以前にアシスタントをしていたという方のエントリが話題になっています。
- 週休3日、残業禁止、「作画完全外注」――漫画家・三田紀房が「ドラゴン桜2」で挑む働き方改革 - Yahoo!ニュース
- 三田紀房先生に残業代を請求したことについて - マンガアシスタントについてのブログ
- 「三田紀房先生に残業代を請求したことについて」というブログを読んで感じたこと|佐藤秀峰|note
さて、まだ小さかった昭和40年代は、マンガやテレビへの拒否感や商業主義への批判がそれなりにあった記憶があります。
その流れはオリンピックが商業化して成功するなど商業主義との向き合い方が、バブル経済に向かうなかでどんどんテレビの放映時間が拡大したり、少年向けのマンガ雑誌が売上急拡大するとか、音楽のアルバムも大量に売れるなど、製造業の拡大とはまた違ったビジネス領域が拡大したの80年代からバブル期に顕著になったような印象があります。
ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、わたしの問題意識は、こういった時代背景で現場を支えてきた工場労働のブルーカラーとは違う、知的生産現場(ブルーカラーに入れるのはちょっと馴染まない仕事)を支える労働者の労働環境をどうするのかは、解決できずにいる日本の重要問題だと感じています。
私自身の経験では、知人・友人が音楽業界における"ボウヤ"という仕事(?)をしていた人間がおります。DTMやデジタルレコーディングが進む中で、音楽の作曲や編曲、制作においてもアシスタントの役割は大きくなってきたのがこの30年ほどだと思いますが、徒弟制度に近いものがある業界であるほど労働基準法を守らなければいけないという意識は希薄であったのではと推測します。
今日のエントリで触れたいのは、知的生産現場を支えているブルーカラーに近いホワイトカラー労働者に適正な対価を支払うための事業モデルの変革に向かうことができないか?というお話。
テレビがどんどん存在感を増していった時代に、1週間のサイクルでコンテンツを生成していく事業領域が創出されました。(後述する手塚治虫 - Wikipedia 2 生涯 2.6 アニメーションにもこの辺の話題が出てきます)
紙媒体でのマンガ、文章、写真に始まり、テレビ・ラジオ番組における、脚本、制作(ディレクション・映像・音声・照明・編集)、アニメであればセル画を作成したりする仕事などイメージしていただければと思います。
冒頭に漫画家さんの件をとりあげましたが、アニメ制作におけるアニメータさんの労働環境が大変だというのは、昔から聞いていましたし、アニメーターさんの給与問題を取り上げた記事は検索すれば沢山出てくると思います。
ちゃんと調査をして書いていませんが、少年雑誌の週刊連載の原稿料では漫画家さんは赤字で、コミック化されてそこからの収益で稼ぐビジネスモデルらしいことを聞いたことがあります。
またアニメーターさんの給与レベルについては、業界における最重要人物である手塚治虫さんの影響があるとか、ないとか...
フリーランス10年、会社組織にしてから20年の制作会社を経営をしてきた立場として、労働基準法に対応した雇用環境提供できないような会社は潰れてしまえば良いという主張は理解できますが、すべてを受け入れられないモヤモヤした自分がいます。
それは、そもそもの制作費の分配構造が変わる必要があり、そこを変える力のある会社が、これらの議論に対して黙殺している状況では根本的な問題解決には到達できないと感じるからです。
テレビ番組の制作費における、代理店の取り分の問題などを含め目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
電通・博報堂を遥かに凌駕する下請け企業のブラック度 | マネーポストWEB
かつて『発掘!あるある大事典』(フジテレビ系)が、「納豆でやせる」という捏造番組を作ったが、スポンサーから局に渡されたカネは1億円だったにもかかわらず、最終的な下請け制作会社に渡ったカネはわずか860万円だったと言われている。
それぞれの事業者レベルで改善すべき課題が山積しているのも事実ですが、出版社、テレビ局、レコード会社、広告代理店がそもそもの制作費、分配比率や方法を変革させるなど、末端の制作現場の労働環境を真っ当なものにする気があるのかも重要なファクターではないでしょうか。
ただ、これらの階層に居る人たちの意識がこれだとすると、非常に先は暗いものを感じます。
いつからエリートは"堕落"したのか。少なくとも筆者の知る限り80年代からはずっとそうだったはずだ。筆者はバブル崩壊直後に入学したが、その頃は既に東大生の親の平均年収は一千万を超えていたし、その親世代は子供たちに「とにかく大きな会社に就職しなさい」と諭していた。入る企業の規模により得られる社会保障に大きな差がつくことを彼らは皆知っていたから。「自分たちは一生懸命努力したのだからそうした恩恵を受けるのは当然の権利」というのが彼らに共通するスタンスだ。
企業の不祥事などでは自浄能力を問われますが、今日触れたブルーカラーに近いホワイトカラー労働者に適正な対価を支払うための事業モデルの変革を実現するには、業界が一度滅べば良いのか、はたまた戦争でゼロリセットするしか希望がないのかの問いを投げかけていると思います。
P.S.
わたしの周りはミュージシャン、スタイリスト、デザイナのアシスタントや見習いとして相当に過酷な労働環境を生き抜いた人、挫折した人それぞれに居ますが、今日とりあげた業界以外で美容師さんの業界におけるアシスタントの労働環境や待遇問題も相当やばいものを感じます。