混雑する大晦日の蕎麦屋で居酒屋のように飲んでいる客は粋なのか、野暮なのか?
年越し蕎麦は歳末の日本の風物詩です。
大晦日の夕方ともなると蕎麦屋さんの前には、冬の寒さの中、多くの人が行列を作ったりもしています。
そばと言えば、細く長くという例えに結びつけることが多い食材です。麺類で細いということはのんびり食べていると、どんどん伸びてしまう食材でもあります。
昨日ふと思ったことがあります。
蕎麦屋で日本酒というのは日本ならではの組み合わせかと思いますが、混雑する大晦日の蕎麦屋で居酒屋のように飲んでいる客は粋なのか、野暮なのか?
こちらのまとめサイトを見るとこんな記述があり、そもそも蕎麦が出てくるまでの時間をつぶすために飲んでいたように見受けられます。
昔のちゃんとしたそば屋は注文が入ってから打ったので、時間がかかったのです。客はその待つ時間に海苔などをあてにしてお酒を飲んで待っていた。
日本の風物詩として考えると東京限定にはなってしまい説得力に一抹の不安を感じますが、江戸っ子といえば気が短い、寿司も手軽に食べられるファースト・フード的な意味合いがあったと聞きますが、蕎麦屋についても長居はしないという考え方は的外れではなさそうです。
蕎麦屋は江戸時代、職人達が酒を飲みに行く憩いの場でした。
まず、「板わさ」のような簡単な肴で酒を1本やり、「出し巻き」でもう1本、締めに蕎麦を手繰り、長居しないでさっと帰るのが庶民の楽しみ方だったようです。
年越し蕎麦を食べる理由として、wikipediaの「年越し蕎麦」の項目には対照的な事柄が紹介されています
- 蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる
- 蕎麦は細く長いことから、家族の縁が長く続くようであったり、延命・長寿を願ったもの
これを見ると、災厄を断ち切るためにもさっと食べて終わりにするタイプと、延命・長寿を願ってじっくり楽しむタイプに別れそうで、これまた悩みが尽きません。
昨年ネットでは飲食店のキャンセル問題や、客のマナーに関連した話題も幾つか大きく取り上げられましたが、混雑する大晦日の蕎麦屋で居酒屋のように飲んでいる客は粋なのか、野暮なのかについても、店・客という立場だけでなく、さまざまな意見がありそうだと思い書いてみました。