なぜ女性の見た目がアジア系だと家政婦だと認識してしまうのか?
BBCの生放送でビデオ取材の映像に子どもが乱入してしまった件、お子さんがノリノリの感じで入ってくる様子と、赤ちゃんが歩行器で入ってくる様子がとても微笑ましく、わたしもFBでシェアさせてもらいました。
凄いなと思ったのは、この状態でロバート・ケリーさんは子どもを叱らずに、グッと堪えて中継を続けたこと。私だったら生中継の最中に子供を怒鳴って全世界中にひどい父親として拡散してしまう大失策をしていたと思います。
後日談の記事を見ると、最初に登場したマリオンちゃんはその日、幼稚園で誕生日パーティーをしてもらった後で特に上機嫌だったということで、あのウキウキ感に納得ですw
で、ちょっと気になったのはこちらの記事にある
一部ではキムさんを家政婦だと勘違いした上での議論もあった。
↑これですね。
この事象について、先入観や差別ということで書かれているブログなども拝見しました。
わたしが感じたのは、ここから先入観や差別の議論をすることにも一定の意味はあると考えますが、なぜこういう思考パターンになるのかを考察することにも価値があるようが気がします。
たとえば、母親のキムさんを家政婦さんとして認識してしまったプロセスには、画面に登場した人物の関係性を視聴者なりに納得できる形で処理するプロセスが進んだと言える訳ですが、
そこには、こんな要因があったと推測されます。
- BBC(イギリス)のスタジオで白人アナウンサーとの中継
- メインゲストとして登場していたロバート・ケリーさんが白人男性
- 乱入したお子さんたちも一見してアジア系を想像させる見た目の要素が少なかった
- 最後に登場した女性が黒髪でアジア系の特徴
逆にこれが、
- アジアの放送局で
- メインゲストとして登場した方が、アジア人然とした容姿
- 乱入した子供たちが欧米人の特徴をもっている
- 最後に登場した女性が金髪やアジア系には少ない特徴を持っている
こういう情景が目に入ってきたと仮定した場合、事実は欧米系の女性が家政婦だったとした場合、大半の人はどう判断するでしょう?
ステレオタイプ、先入観というは誰もがみな持っているものですが、得られた情報からそれぞれ判断を下していくわけですが、認知心理学でいうスキーマがどう形成されているのかがポイントな気がします。
人間は多かれ少なかれ、印象や先入観を持っていますし、見たいものは見るけれど、見たくないものは無視する傾向があり、知らないことは認識できません。
すべてが平等な社会は理想的ではありますが、こういう脳内処理をしてしまう前提がどのように積み上げられているのか(家政婦と認知する人と、しない人の差はいったいどこにあるのかなどなど)が気になります、、、
この映像から差別的な発言をする必要はまったくないとわたしは考えますが、人間は自分が持ち合わせた情報の断片から認識を形成することを理解しておくことが必要な気がします。
参考までに、目が見えることが人間にとってどんな現実を生み出しているのか、このビデオをご覧ください。いろいろ考えさせられることが出てくると思います。
あなたはどんな現実を生み出しているのか?
現実とは、自分が認識したものではありません。心の中で自分が作り上げるものです。アイザック・リッズキーが、この奥深い教訓を身をもって知ったのは、予期せぬ人生の試練から価値ある洞察を得た経験からでした。彼がこの内省的で個人的なトークを通して私たちに強く勧めること、それは、言い訳や憶測や恐怖を捨て、自ら現実の創造主になるという素晴らしい責任を受け入れることです。