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マーケティング・マインドが日本で育ちにくい訳

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IT業界を問わず日本のマーケティングは米国と比較してうん十年遅れているという指摘があったりする訳ですが、その差が縮まるどころか、どんどん拡大してないか?と感じる場面がちらほらあったのですけど、こちらの記事を見てふと思ったことを書いておきます。

この感覚ミュージシャン、デザイナ、カメラマンなどなどフリーランスとして食べている人からすると、実務経験ゼロの人がギャラを貰えることが不合理と考えるのは、昭和時代にこの手の職業で下積み経験した人なら同意見の方多いのではと思います。

第二次大戦の終戦から、さまざな社会実験が行われ、中国、ソ連は方向転換やら崩壊をたどりました。日本は高度成長を満喫してから失われた何十年があり、さすがに年功序列と終身雇用を維持するのがしんどくなっている状況ではありますが、とりあえず成果は無視して働いた時間に対して給料払われるシステムと、雇った人間を簡単にクビにできないシステムはかなり強固に生き残っている状態かと思います。

1時間働けばそれに見合った給料が払われる。残業すれば当然これも支払いの対象ですから、法令で守られた人たちの権利として、これを主張するのは妥当なことではありますが、自然を相手にしながら収穫物がなければ一文にもならない第一次産業に従事する人たちや(補助金あるという指摘は出てくるかと思いますが)、同じくフリーランスもクライアントのOKでなければお金はもらえないシステムで同じ時代を歩んでいます。

日本の生産性が低いという指摘があちこちで繰り返されていますが、ブルーカラーの管理され具合は世界有数なのではないでしょうか?この辺の事は以前にこちらのブログでも書きましたけど、

他方ホワイトカラーと呼ばれるサラリーマンは時間を無駄にかければ収入増えるシステムが温存されている中で生産性を高める理由はない訳ですから、その環境をあとはどれだけ長持ちさせられるかに腐心するのは当然の流れかと。

マーケティング界のドラッカーの異名を持つ、セオドア・レビットはマーケティングをこように説明しています。

「顧客を創造し維持するという企業目的を達成するために、全組織の隅々で実行されなければならないことがらを引き受けるのがマーケティングである。」

この言葉から感じたことは、欧米型の雇用環境においては、雇ってもらうに値する能力を開発・維持することが求められる、冒頭に書いたそれぞれのプロとして活動するフリーランスと近い考え方の社会ですから、ここには働く側にもマーケティングマインドが要求され、育成される環境と言えないかということ。

そしてこのような環境の違いが、冒頭申し上げたような遅れの拡大であったり、マーケティングマインドの差となって表れているのではないか...と思ったりした訳です。

生産性を高めるという事についても、これまでかかっていた工数を短縮するとか、そういうアプローチとは別に、従来なら何時間幾らだったのが、実質1時間しか使っていなけれど金額として10時間分の値付けをクライアントも認めるようなサービス(便益)を生み出すアプローチの議論していかないとまずい気がするんですよね。

日本は今年マーケティング・オートメーションブームと呼べるようなことがありしたけど、前述のセオドア・レビットは昭和48年に出版された「マーケテイング発想法」の中の「マーケティングにテクノロジーが侵入する」という章をこのような言葉でしめくくっています。

セオドア・レビット「マーケテイング発想法」

現在はひじょうな経費をかけ、信頼度の低い人間集約型の活動によってつくり出されている成果の生産に、科学的方法とテクノロジーの知恵を応用することになるだろう。

ここ数年、人工知能や機械が人の仕事を奪う時代と言われていますが、40年も前からこうやって思考しているですから、そりゃ差も開いて当然なのかもしれません...

マーケティング関係者なら絶対知ってる「マーケティング近視眼」のセオドア・レビットな訳ですが、こちらの「マーケテイング発想法」も、「革新はなぜ大企業から生まれないのか」など興味深い指摘が沢山ある書籍ですので、お正月の読書タイムにお勧めの一冊です。

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