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50歳目前での大学卒業で感じる、継続的教育と再チャレンジ組が活躍できる場の創出重要性

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自分のコンプレックスと仕事上で感じていた課題解決の役に立てたいと思い入学した産業能率大学。

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仕事との両立はやはり簡単ではありませんでしたが、この6月に送られて来た学修状況連絡票で卒業所要単位を充足しているという書類が今日到着し卒業の目処が正式につきました。

ただし、わたしは卒業研究を選択しているため、この後2ヶ月間も仕事と学業の両立でタイムマネジメントが要求される日々が続きます。

来年50歳を迎えるという時期に大学に入学して何が一番の学びになったことは、上述したタイムマネジメントを要求される生活を1年半続け、そこで身につけた処理能力だと考えています。

そして、学業の面では経営学、マーケティングについて学問として学ぶことが出来たことは勿論、問題解決手法や統計学、消費者心理学などの周辺知識に触れられたことも非常に自分としては大きいです。

あとは、レポート作成のスキルとして、図書館利用などを含めた資料集めと整理、そして文書化とプレゼンスキルについての科目も実務経験でゼロではありませんでしたが、学生という立場で学ぶことで吸収するところは多くありました。

日本でもオンラインだけで大学資格が取得ができる環境が整備されつつるようです。わたしが利用した産能大の通信教育課程は、通信であってもスクーリングと呼ばれる学校に通学して習得しなければいけない単位数が定められています。

オンラインで完結できる制度になることで、仕事が忙しい方や遠隔地に住んでいるような方々にも大卒資格を得る可能性が高まることは歓迎すべきことだと考えます。ただ実際に学生を経験した立場として申し上げるとやはり先生や同じく卒業を目指す学生との交流はやれるならリアルで参加すべきだと考えます。

機械が仕事を奪うという話しと共に、この先15年、20年先に無くなる仕事という話しを見かける事が増えています。一例としてこの記事「「新経済サミット2014」セッション・レポート:第4回:コース終了率5%!?-オンライン教育でイノベーションは起きるのか?」にも

「今の子どもの65%は将来、今は存在しない職業に就くことになる。現在の教育システムはこの変化のスピードに追いついていないのではないか」と問題提起した。

とありますが、振り返ってみるとドラッカーが昭和44年に出した「断絶の時代」にこんな一節があり、多分産業革命が起きたころから旧来の仕事とは明らかに違う世界が登場し、そこからこういう指摘が続いているのではないかと推測します。

10年ないしは15年にどんな知識が必要となるか現在わからない。今わかっているのは、これからの子どもにとって必要なのは現在では知られていない新しい知識なのだ。卒業後10年から15年もたてば技術者はみな時代遅れとなり、再訓練のため学校にもどらねばならなくなるのは、今日ではごく普通のこととなった。

ハーバード大学の授業をオンラインで受講できるなど、テクノロジーは所得による教育機会の格差を縮小するチャンスをもたらすという主張にわたしは基本賛成ではあるのですが、現実としてはそれほど甘くないと考えます。

それは、ITを活用したオンライン教育はOne to Oneマーケティングと同様に、パーソナライズされた教育プログラムの提供を可能とするかもしれませんが、それを受講者が一人の力で消化しきれるとは限らないという事。

テクノロジーは所得が低い人にも学習機会を確かに提供するでしょう。ですが生活のために多くの時間を費やさざる得ない状況の人には、適切な学習時間が確保できずに単位が修得できない、もしくは収入確保のために学習が継続できない状況に陥る可能性が高いとも言えます。

つまり、安定した雇用環境で教育に投資する、時間とお金を持っている人には有益ではあるが生活に追われている状態の人が状況を改善するのは簡単ではないという事です。

ITを活用したオンライン教育が進歩を遂げるなかで期待したいのは前述の記事で慶應義塾大学の村井 純氏のこちらのコメントにある話しです。

「現在は、一流大学だからハーバード大学に行くというように、先生と生徒のマッチングのメカニズムがブランド化している。インターネットにより、もっと高度なかたちで先生と生徒をマッチングできたら、ほかのサービスと同じようにもっとチャンスが広がるのではないか」

自分は産能大でのマーケテイング(BtoBの分野での)の学位をもった先生の講義を受け、もっと継続的な指導を受けたいと思いましたが、そのためには別な学校に入り直すのはさすがに現実的ではないな…と考えていました。

また別な例として、大学院の説明会を担当された楠木健さんの話しを偶然直接聞く機会があり、そこで語られていた「センス」の話しが自分には忘れられない思い出になっています。最近も文藝春秋7月号で楠木さんはこんな指摘をされています。

本来経営者とは商売丸ごと動かして成果を出す人のことで、その判断の一つ一つにセンスが問われます。スキルだけではどうにもならない仕事です。ところが、肩書としては社長や執行役員でも、「経営者」とは言えない人が少なくない。スキルを積み上げ、若い頃は担当者として各部門で評価されてきた人でも「商売丸ごと全部動かす」という経営の本質がわからないまあま経営者のポジションにつくと「代表取締役担当者」になってしまう。

スキルではなくセンスでこれまで世の中を渡ってきた感のある自分として、楠木健さんから何かを学ばせてもらえる機会を得るためにはどういう努力をすれば良いのかを考えましたが、また、一橋大学の大学院は全日制で英語の授業ということで自分には実可能性はゼロではないでしょうがハードル高すぎな感じです。

まあそもそも若い時にちゃんと勉強してなかったお前が悪いと言われればしゃあないのですが、こういう問題をITの利活用によって、もっと高度なかたちで先生と生徒をマッチングしてもらえるプラットフォームが構築されたら本当に素晴らしいと考えます。

これまでも何回か書いていますが、自分の10代の頃は受験地獄への批判だったり、大学進学をしなくとも人生やっていけるよう雰囲気が社会にありました。そういう意味でもきっとわたしのほうに実務上新たな学びが必要だと考える、40代から50代の人間は多いのではないかと考えます。

ですので、若い世代だけでなく我々世代で学歴に対して何かしら思いがある人間からするとネット単体での大学卒業資格が得られることはきっと多くの人に希望を与えると思います。ただ実際に働くうえでその資格を有意義なものにするためには自身の実力を高めることが基本条件となります。そうではないと結果として学費を受け取る側のビジネスとしておいしいという話しだけなら本末転倒も良いところです。

冒頭申し上げたように、マーケティング知識の重要性を感じて大学進学を決意した私ですから投じた学費はビジネスで取り返すつもりでした。それを具体化させるためにまず最初の取組みとして、学生と実務家という立場でこの学生生活からITメディアマーケティングで連載を持つことが出来ました。

最近仕事の現場でもこの連載を読んでいるという方に出会ったり昨日もこの連載を見ている前提で仕事の打診があったりと、わたしの大学への投資は無駄ではなかったと学生として在籍している段階から実感できているのは大変ラッキーだと思います。

わたしのようなドロップアウトした再チャレンジ組が活躍できる場の創出も重要だと申し上げておきたいので、最後にハーバードビジネスレビューの5月号の巻頭に「民主主義は経済格差を解消できるか」という記事の最後一節を紹介したいと思います。

不平等のなかにも「よい」不平等があるのは理解できるものの、我々はそれが非常にやっかいだと感じている。自分一人だけ貧困から逃れようとするという人がいてもかまわない。しかし、逃れた者が新たに手にした自由を利用して自分自身で活路を開こうとしている人の行く手を阻んではならない。

このような観点から学習機会の創出だけでなく、その学んだ知識を活かせる日本の労働市場での流動性確保も大きな課題と言えるのではないでしょうか。

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