オルタナティブ・ブログ > 平凡でもフルーツでもなく、、、 >

感覚人間の思いつき、、、気になった記事、、、雑記等

フランクルの『<生きる意味>を求めて』は人生の色んなタイミングで読み直してみる本な気がする

»

3日間のスクーリングの最終日、およそ24時間の集中講義は教える側、学ぶ側双方かなり疲れる作業ではありますが、通信教育課程であっても講義型式の単位を3年~4年の2年間で15単位以上取得することが義務付けられているので仕事のスケジュール管理を含めうまく対応していくことが必要になります。

今日もハイダーのバランス理論、アッシュの初頭効果、ニューカムの対人魅力、バーンの交流分析、フロムの市場的パーソナリティなどなど、有名どころの解説がつづきました。

担当講師の方のお名前をここで出すのは控えますが、この方面の著書も大変多い方で、教科書以外の知識や学会等の最新動向を踏まえた講義は非常にわたしの知的好奇心を満たしてくれるもので大変有難かったです。

今回の授業の中では最近の大学事情についても、教室以外では学生とコミュニケーションしないようになりつつあるとか、指導教官として卒論に手直しを命じると、初日に書いたように親を含めた揉め事に発展したり、セクハラ疑惑を掛けられるような行為に遭遇するなど、大学が人を教育する環境ではなくなりつつある…こういう状況が人間教育が職場に持ち込まれてしまう一因だという話しは大変興味深いもので、自分も大学生2人を持つ身として、反省含め考えさせられることの多い3日間でした。

その他、「新学力観」の採用と共に学生の質がまた変化しているという話しも大変興味深く、この辺は機会があれば別途エントリ化したいと考えています。

最後にマズローの5段階要求の先として、フランクルの自己超越性についての話しがあり、『<生きる意味>を求めて』に出てくるこの図が、

Photo_2

いまの自分にとっては、感銘というのか、新たな気づきというのか、はたまたこれからの生き方の指針なのか、、、それこそ生きる意味を考えるきっかけを与えて貰えたような気がします。

金・土・日を使っての授業は仕事のロスもあるし、休みも無くなるという側面もあるのですが、やったらやっただけの収穫は確実にあるのが嬉しいところです。

最後に、『<生きる意味>を求めて』から、こちらを引用しておきたいと思います。

マズローの、高次の欲求と低次の欲求を区別する考え方に欠けているのは、低次の欲求が”満たされない”時こそむしろ、意味への意志といった高次の欲求が差し迫ったものになることがあるにもかかわらず、そのことへの考慮がなされていない点である。

Comment(4)