日本初のロック・ミュージシャン「ムッシュかまやつ」の年代を越えた素晴らしさ
心理学に内観という言葉があり、自分が理解できることしか理解できない…というところから行動主義が取り入れられた流れを学ぶのが典型パターンのようです。
よくよく考えると当たり前な話しな訳ですが、自分の生活に置き換えてみると、中学、高校時代など自分が何となく聞いていた楽曲についても、いま聞き直すとまだまだインスパイアされる要素がこんなに詰まっていたのか…と唖然としてしまうことも多くあります。
自分はGS(グループ・サウンズ)はまったく興味がなかったのですが、林 立夫さんのライブにゲスト出演した、かまやつ ひろしさんの歌を聴いて年代を超えた楽曲の素晴らしさに触れることができました。
林 立夫さんはキャラメルママ(ティン・パン・アレー)、井上陽水、荒井由実、、大瀧詠一などのポップスシーンからPARACHUTEという日本のフュージョンシーンで欠かすことが出来ない歴史を残されている方。
そしてかまやつ ひろしさんは、「ザ・スパイダース」のメンバー、僕ら世代だと「時間ですよ」で知った人も多いですかね?、もしくは「ムッシュかまやつ」として知らない人は居ない存在かと思います。
Wikipediaを見ると、「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などの作曲を担当していたこと、『ロッキング・オン』を創刊メンバー松村雄策をして、日本初のロック・ミュージシャンと位置づけているという事が紹介されています。
Youtubeでこれらの曲を聞くと、自分が生まれた昭和40年前後にこういう曲を作曲していた才能にただただ驚くばかりです。
かまやつさんの代表曲はどれ?という件については、林さんとかまやつさんのMCでも笑いをとるネタでもあるのですが(苦笑)わたしが大好きになったのはコード進行が印象的な「ノー・ノー・ボーイ」。
「ザ・スパイダース」の来歴では「マージー・ビートやブリティッシュ・ビートと呼ばれたサウンドへの造詣を深めてゆく。」とありますが、「ノー・ノー・ボーイ」は浮遊感のあるコード進行とこれまたイイ感じで力の抜けたボーカルが特徴的な楽曲で、斎藤誠&奥田民生でカバーされているのも納得できるところ。
ちょっと気張ったアレンジではありますが、透明感があるサウンドが印象的な玉置浩二(残念ながら安全地帯ではなさそう)バージョンは80年代から90年代にかけてのジャパニーズポップスのシングルとしてリリースされていても不思議じゃない感じです。
はたまたイントロがクリストファークロスか?というAOR的なバージョンもあったりして正直びっくりしました。
驚くのは、これ他人がカバーしているだけでなく、ご本人がその時代、時代の音楽的テイストを反映したバージョンをリリースされていることは、素晴らしいことだと思います。
ちなみにこちら、ムッシュかまやつ 70thアニバーサリーアルバムのノー・ノー・ボーイは、「ムッシュかまやつ feat. 今井美樹」!
「ボクは、君たち(若い)世代と話が出来なくなったらおしまい」と語った通り、74歳にしてもご自身でスタイバーガーを抱えて現役のミュージシャンとして活躍しているかまやつさんの姿と、これまで多くの日本のヒットを録音してきた林 立夫さんの音楽の解釈とその表現から多くを学ばせてもらいました。
小さい頃は「勉強」という単語には嫌なイメージのほうが強かったですけど、昨日紹介した「ギター★マン」もそうですが、自分が好きな事に関しては一生勉強続けられるものですね(苦笑)