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「パーキンソンの凡俗法則」日本のイチイチ丁寧なアナウンスとか必要なのだろうか?

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難聴という言葉から

音が聞こえない=音量を上げれば聞こえる

↑こういうイメージを持つ人も多いのではと思うのですが、実際に聴力が低下してみると単に音が聞こえないというのではなく周囲の音のなかで聞き分けができないとか、言葉の一部が聞き取れない、耳の中で音が反響してしまうなど、実際に体験する難聴の症状は千差万別なんだなと感じています。

こういう身体的ダメージがある人間にとって日本の何でもアナウンスする世界は非常に生活にしくいです。

やたらとしゃべる車内アナウンス、余計に作り込んだ発車ベルの音、ご丁寧にセンサーまでつけて人が通過すると工事中を案内する機械、駆け込み乗車を注意するために大声になっている駅員の声などなど、、、

これまで思いつくことは無かったのですが、今回出張した中で航空会社もチケット安いところは機内の掃除も適当で足下にナッツやゴミの小さいのが落ちたままだったり、地下鉄の駅でも案内の看板に書いてあるのは最小限な印象を受けました。

交通機関を利用して印象的だったのは公営高速鉄道、Caltrain、バスは、自転車を使う人に配慮されている印象でした。Caltrainも車体のタイプは幾つかあるようですが、↓こちらの車両は自転車専用車両、

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こちらは普通の車両で、どちらかというと貨物状態に近い感じ。この辺のデザインテイストはSF映画における宇宙船の貨物エリアと通じるモノを感じました

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車体のタイプによりますが、コンセント完備でイマドキの通勤事情をちゃんとフォローしているのが印象的です。この辺はやはりシリコンバレーという地域性もあるのかなと感じました。

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このような状況を見て思ったのですが、日本ってあれこれ丁寧、優しい、使いやすいということを追求して、それはそれで良い面あるのですが結果それが高コスト体質に結びついている面、サービス受ける側もされて当然という体質になっていて、その辺が結果グローバル基準と照らした場合にズレが生じているのでは、、と思った次第。

「パーキンソンの法則」は英国の学者によって提唱された法則ですが、欧米に比べて日本ではこの症状がより重いところに進んでいるようが気がします。

本田宗一郎氏は俺の考えの中で、パーキンソンの法則に触れながら大企業がなぜ儲からないかという考えを示しています。

この話しは昭和38年くらいに書かれたものだと思うのですが、その当時から2千人もの人間を給料払って待機させている他社のニュースや、戦時中に吸いもしないタバコを配給されるから貰っていた多くの日本人の体質を貧乏根性だと指摘、これは2013年の今でも通じる部分あるような気がします。

冒頭紹介した交通機関のアナウンスや駅の情報掲示板関係、車体の維持・メンテナンスなども手厚く維持しようとすればそれは当然コストに跳ね返ってきます。(他民族国家ですとアナウンスで伝えようとしても無理があると割り切っているのかもしれません)

他方、関連事業を関連子会社を作って仕事を流せば事業サイクルが生まれるので、雇用創出という観点からするとプラスの側面もありますが、必要以上のサービスであったり、本来不要なモノを維持するためにコストが膨大に必要となる危険性も考えておく必要があるような気がします。

熊本県知事の蒲島郁夫氏は苦学の末にハーバード大学に入学、「文明の衝突」のサミュエル・ハンチントン教授のもとで学びながら、自身は

六〇年代の発展途上にあった日本の「持たざる者」である農民は、左翼政党ではなくて、五五年体制を築いた「保守で安定」した自民党を支持、日本は「高度経済成長の波に乗って」、巨額の予算を農村に投入したため「都市と農村の格差が無くなっていた」

という「調和理論」を唱えました。

蒲島氏は著書「逆境の中にこそ夢がある」の中で、日本は分配の社会として経済発展の果実を地方に分配することによって日本の地方はスラム化せずに健全に育って来たが、新自由主義が持ち込まれたここ15年ほどで都市と地方の格差が歴然と拡がってしまったとしています。

この問題解決についてここでは触れませんが、この分配のそもそもの部分で今日指摘した日本人の無駄なものでも貰っておこうという悪い側面が影響を及ぼしている部分はあると思います。

能力とは関係なく5年たったら社員採用であったり、65歳定年の義務化など社会保障としては有効なのかもしれませんが、本来その場で能力を発揮できるひとに活躍の場を与えるという観点とは衝突してしまうような施策がどんどん国によって定められる今の日本。

日本の「おもてなし」という概念がオリンピックの招致では効果を発揮したようですが、わたしは今日紹介したような米国型のソリッドな感じのサービスに対して拒否感を感じないタイプのようです。

どっちが最善という話しではなく、今の日本が向かっている方向がどうも居心地悪く、何か報われない感じがしている人も一定数居ると思われ、日本がグローバル社会に適応していくとか、変革していこうという話しを本気で進めるなら、こっちの人達が行動しやすい仕組みが出来ないとダメな感じがします。

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