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制作費で食べられない時代が来るとして、権利収入が発生しないビジネス環境では夢を描くのが難しいよね…と

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バンドで飯が食えるまでにライブハウスで演奏するとか自腹しかないし、音楽制作を請け負うまでにも修行時代は無給というような風潮も昭和の時代にあったので、ここ最近話題になった著名マンガ家さんに自治体がタダで仕事を依頼していたのも驚かない。

そしてネットが一般化しブログが浸透してから、記事を書くにもタダもしくはそれまでの業界標準からしたら嘘ののような金額しかギャラが出ないとか、タダで転載させてくださいというところ著名なサイトもあるのは皆さんご存じかと。

あとYoutubeにしても著作権的な観点からするとNGなモノが現在でも多くあるけれど運営者側はそこから収益あげている。

数年前にとある印刷会社のWeb制作の下請け会社として打合せに同行したら、「ブログはタダのサービスがあるんだから、おたくもタダで作ってよ」と平気な顔していう担当者に唖然とした経験があるし。

インフラ利用料を毎月徴収できるビジネスモデルのところはデザイン費用をゼロにしたりというのはFREEの時代ということで一度荒波が訪れている訳ですが、一時期「レベニュー・シェアで…」という話しを持ちかける人達が沸いていた時期がありますが、最近ちょっと見かけなくなっているのはそれなりに社会状況の変化があったからかな?と思ったり。

ここ最近だとクラウドソーシングのサービスを利用して、企業やサービスロゴなんかも驚くほど安価に制作可能な環境になっていますね。

困るのは、そこで依頼される仕事は事前の打ち合わせもあり、そして下調べを含めたプランニングにも時間をかけ、実際の制作にもカンプ制作を含めた稼働時間が必要となることが明白なのに、値段は前述のようなサービスは幾らで発注可能だから、その線でなんとかならないか…という話しをされるケース。

コンサルティング系の仕事では、権威があるところに依頼して社外からの声で組織を動かす場合があるけれど、そういう案件で動くコンサルタントの人達の時間給は非常に高額に設定されていて驚くことがあります。

その仕事やっている人達も自分達はそれだけ有能だし、会社にそれを支払う価値がある仕事をしているからそういう金額体系が成り立っているのだと思うと、冒頭紹介したような処遇はいかに自分が評価されていとも受け取れる訳で、なんとも寂しい

たまたま今回は自治体がタダで有名な人に仕事を依頼していたのが話題になりましたが、日本の場合、芸術・文化系に払っているギャラがムダとか、高額すぎるという突っ込みが起きたりする事もこれまた残念なところだと自分は思ってます。

自分は著作権収入を今でも得ており、この辺の経験と今回の事を踏まえて思うのは、世の中どんどん変化していて制作系の単価が高騰していくことは考えにくい。

そうなってくると、制作するのはタダもしくはタダ同然だとしても最終的にその制作物がビジネスに貢献した際に受け取る収益の権利は手放してはいけないのかなと。

こういう契約を企業相手に実績がまだ足りない個人や零細規模の会社が結ぶのは困難かもしれませんが、音楽制作におけるレコーディングではIT化が進んだことでレコーディングミュージシャンの登録、管理がシステム的に行えるようになり、実演家への分配もアナログ時代から見れば本当に進化をしています。

デザイン方面では成果物の利用形態が音楽とは違うので、そこの整備にはまだ多くのハードルがあるかもしれませんが、組織に属さないで生きていくデザイナのためにこういう制度が整備されても良いのではないかと感じます。

ナイキのロゴのデザイン料が35ドルだったという話しは有名ですが、最終的にキャロライン・デビッドソンはダイヤモンド入りの金のスウッシュリングとナイキの株を譲られる事となりました。

50歳にもう少しで最近は入院も経験したりと安定志向に向かいそうな事柄が多く身の回りに起きてはいるのですが、音楽とかデザインという方面の仕事で独立して生きていくと踏み出した以上、安定も大事だけど、こういう夢を感じていないと辛いモノあるよな…と

時給やギャラに見合った分しか働かないという効率性を重んじる働き方もあるけど、何か突き抜けた結果を求めるならやはり細かいことは置いといて全力投球するしかないよなって自分は思ってます。

こういう思考パターンはサンクコスト効果的な面があって、それを利用しようとする人からは狙われてしまう素養ではあるのですが、何とか結果を出したいものです(苦笑)

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