商売の世界は法律に訴えても建設的な話しにはならない
周波数割り当てをめぐり行政訴訟するかどうか迷っていると語ったソフトバンクの孫正義氏の件について、
こんなタイトルがついています。
この事案について、KDDI側は天下りは関係ないと反論しており断定は避けますが、皆さんも案件を獲得するための活動の中で、天下りなり、それと似たような関係性によって失注してしまったりというのは経験あろうかと思います。
会社はオープンシステムの中で生きていくものですから、さまざまな関係性に対して柔軟に対応することが必要です。
ただ、天下りが、上から無理矢理押し付けられるものであったり、その天下りによって本来なら採用される見込みのない差があるものが採用されてしまうようだと問題ありという話しになろうかと思います。
天下り全廃が透明性の確保に直結するかというと、そんなに単純な問題ではないと思いますが、この記事には更に、こんな話しが出てきます。
「わかるでしょう?実態として、行政訴訟するのは簡単。一度やったら、その後は出入り禁止になった。アポを申し込んでも一切通らないという状況に何年もなった。我々の事業の活動に大変な支障が起きた。今回、それをやるとまた同じようにアポもとれない。さまざまな意地悪をされることが想定される。行政訴訟すべきかどうかをギリギリまで悩んでいるのが正直なところ」(孫氏)
商売をすることって、結局こういう事とどう対峙しながら事業継続していくかという事だと思います。
天下りの真面目に競争しても無駄になってしまう悪影響の側面と、そこに改善を求めても、力関係から不条理と向き合いながら、それぞれに判断をしながら事業を継続させる。まさに経営者の信念や経営理念と直結してくる話しです。
オープンシステムというのは、外部環境と折り合いを付けていかないと、生き残れない事を意味するわけですが、これがここのところ語られる職場におけるパワハラとか、人間関係に置き換えるとどうも乖離しているように感じます。
職場におけるパワハラを推奨する意味ではありませんが、運動会で順位もつけないようになって、社会に出てから競争社会で生き残れるの?という指摘は、自分も含め非常に多くの方がなされています。
日本では「出る杭は打たれる」という話しが良くされますが、紀元前5世紀にギリシャで黄金比が無理数であることの発見は、ピタゴラス学派に大きな衝撃を与えたそうで、
この発見は、ピタゴラス学派からはひどく憎まれ、ピタゴラス学派の集まりや共同生活から閉め出されたばかりか、まるでかつての仲間がのこ世を去ってしまったかのように、墓まで建てられたという話しもあるようです。(「黄金比はすべてを美しくするか」:マリオ・リヴェオ 早川書房 より)
現代の日本のいじめとして社会問題化したことが、紀元前5世紀にもあったという話しにろうかと思いますが、世の東西を問わずやはり似たような事があるようです。
結局のところ自分のキャリア開発だけでなく、今日指摘したようなストレスを感じる事(問題・課題)を、外部環境と内部資源をどのように調整していくかという事を取り組む能力を開発する必要性を自分は強く感じており、パワハラはいけません…という施策だけでなく、ストレス耐性強化も大切だと考えます。
最後に、こんなチラシを手にしたのですが、これを取引先に提示しても、大概は煙たがられるだけで、最終的にそれらしい理由をつけて結果取引停止されるでしょう。
やはりそういう取引が嫌なら、自分達が望む取引を出来る相手を見つけ、営業する能力と、双方にとって満足の得られる製品・サービス両方が必要なんですよね。