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イノベーションに必要なのは、良い意味での反逆精神

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例えば、不要なやり直しは効率的に考えても減らした方が良いですが、仕事における効率性と有効性を取り違えてしまっているケース、身近に以外と多くありませんか?

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また、世の中のIT化が進み、こちらの都合よりもシステムが要求する答えを入力しなけれ一歩も先に進まない場面も多くあり、デジタル化以前の時代とは比較にならないほど、定められたルールを受け入れる能力、仕組みに従って生きる能力が求められる側面があります。

当然ながらこういう時代には、うまく仕組みを活用して効率良く物事を進めるのがスマートなやり方と言えるでしょう。

ただし、効率性は程度問題にとどまるのに対し、有効性は時に存続に関わるレベルの問題であるのに、なぜか効率性の追求が突き進められてしまうという本末転倒なケースも世の中には見受けられるようです。

創業と守成といずれが難きという問いに、創業よりもむしろ「守成」こそ忍耐と根気強さと人間的器量とが要求されるという指摘もありますが(伊藤肇「現代の帝王学」)、ここ最近イノベーションの必要性が叫ばれる機会が増えており、「破壊的イノベーション」という表現のように、既存の仕組みを変革したり出来るアイデアや人材はどうしたら育てることが出来るのかが考える機会が増えていると思います。

これは、特に出る杭は打たれる文化の日本で、どうやって突出したアイデアを現実化させていくかは、既存企業における変革であったり、ベンチャー企業の創出などの観点から考えても大事なテーマかと思います。

まずイノベーターは新しいアイデアや価値を世の中に提示してくれる訳ですが、日本で初めてシンセサイザー音楽を作品として売り出した冨田勲氏を取り上げたと思います。

1974年当時、日本の各レコード会社にもちこんだところ、「クラシックでもポピュラーミュージックでもなくレコード店の棚に置く場所がない」などの営業的な理由ですべて断られたとされたそうですが、紆余曲折あり米RCAレコードに持ち込んで契約に成功し1975年1月18日付けのビルボード(クラシカル・チャート)で2位にランクインしたというのは皮肉な話しです。

この冨田勲氏の弟子にあたる松武秀樹氏が第4のメンバーとして参加していた、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)についてはこのブログをご覧の皆さんであればご存じかと思います。

YMOは電子楽器による自動演奏を大々的に音楽に取り入れた先駆者的グループであり、1978年当時にライブに自動演奏を持ち込んだのはある意味革命的であっと言える訳ですが、このYMOも海外で火がついた人気が日本に「逆輸入」されたと言われています。

こちらのビデオでは高橋幸宏氏へのインタビューでイノベーションという言葉は使われていませんが、以下のコメントが印象的です

僕たちの興味は”テクノロジー”に関しては非常に強いということで、それを武器にしているわけです。

音楽好きな方には、wikipediaに記載のある、

YMOのシンセサイザーと自動演奏は切っても切れない関係にあり、これらはプログラマーの松武秀樹の存在が大きい。レコーディングやライヴでの音楽データのシーケンサーへの打ち込み、自動演奏は松武が一手に引き受けていた。

この部分について、こちらの同じビデオの7:12あたりから、当時のレコーディング風景がご覧いただけますので、是非見ていただければと。

こちらの機材写真は先日TMT(テクノロジー・メディア・テレコミュニケーションズインダストリーグループ)主催の「メディアデモクラシーの現状2013」で松武秀樹氏が実際に当時の機材を持ち込まれたもので、当時のツアー映像にも登場するステッカーがとても印象的です。

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このセミナーでは「シンセサイザーの神が見た音楽の今と未来」というテーマで当時のYMO時代の活動の話しを聞くこともできたのですが、モーグ・シンセサイザーを冨田さんが輸入した際に、税関がシンセサイザーを理解できず、税関の検査場で数ヶ月間止められ、しかもその間の保管料を請求された事に今も冨田さんは怒っているという話しが特に印象的でした。

このセミナーで語られた「メディアデモクラシー」については、『「テレビ番組制作の黄金時代」からこれからのメディアの価値を再考する』トーマツの松永 エリック・匡史氏と塩崎 奈緒子氏とテレビマンユニオン・プロデューサーを経て上智大学教授の碓井広義氏のインタビュー記事がこちらの掲載されていますので是非こちらもご覧ください。

そして、音楽制作の現場に更なるデジタル化の波が押し寄せた1980年代にパット・メセニーというギタリスト(業界内においてその存在は現在神格化されているレベル)がテレビ番組でイノベーターとして紹介している映像も紹介しておきましょう。

時代とテクノロジの流れの中で、真空管からトランジスタへの移行時代と、アナログからデジタルへの移行時代それぞれに、旧テクノロジ擁護派からの反発と批判に晒される時期があります。

今回の例ですと、(今では普通のことですが)機械と一緒に演奏なんかするか!という話しがあったり、シンセサイザーやサンプラーの音色が本来の楽器と違うから、「ダメ」だという烙印を押して否定してしまうのか、新しい可能性を見つけるのか、この辺については紹介のされ方やタイミングの問題もありそうです。

そして、テクノロジが更に進化していく中で、多少効率は悪くても有効性の部分が大きいとユーザはその便益を理解してくれ、そのうち双方で使えるレベルになって来ると急激に置き換えのスピードが速くなっていきます。

今日ご紹介した冨田勲氏、YMO、松武秀樹氏、パットメセニー氏に共通するのは、自分達の主張が理解されるまで、非効率な面を我慢しながら、世間の無理解と戦わなければいけない時期が必ずあったと思います。

その不遇の時期を我慢しつつ、賛同者(ファン)とテクノロジの進化を味方につけながら自分の信念を貫くことで逆転を果たした言えるでしょう。

何かに頼らなければいけない環境から自由を得ることは、依存関係を解消することに繋がりますから、そこに既得権益を持っている人たちから見ればいわば反逆が起きたようなものです。

つまり今日の事例でいくと、人間が演奏することで利益を得られていた人たちにとって機械は反逆児として見ることができるだろうという事で、最後に「自由からの逃走」という書籍にあるこの言葉を書いておきたいと思います。

自由な行為としての反逆は理性のはじまりである:エーリヒ・フロム

今日は、既存の枠組みから飛び出すことでイノベーションが実現した例を音楽方面から取り上げてみましたが、次回はまた別な観点からイノベーションについて考えてみたいと思います。

参考文献

  • 榊原清則 経学入門(上)第2版 日経文庫
  • 伊藤肇 新装版 現代の帝王学 プレジデント社
  • wikipedia 冨田勲
  • wikipedia YMO
  • wikipedia 松武秀樹
  • エーリヒ・フロム 自由からの逃走 新版 東京創元社
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