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福島第1原発、汚染水問題「深刻で、切迫している」という報道に思うこと

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昨日、東京電力福島第1原発で放射能汚染水が増加し続けている問題で、原子力規制委員会の田中俊一委員長が「かなり深刻で、切迫している」と話しをしていると言う記事を見かけました。

関連表示されていた記事では、こんな指摘もされています。

規制委は、東電が海への漏出を認める前から、福島第一原発の坑道にたまった汚染水が土壌にしみだして海に漏れ出ている可能性を指摘。東電に速やかに対策をとるよう指示していた。

この辺の話しは、報道される側とする側の主張が真っ向対立することもあるので、今後の流れを見守るべき点もありますが、人間の手に負えない側面あることだけに、あとからやっぱりダメでした…的な話しはやはり勘弁してほしいと正直思います。

矢沢永吉氏が、原発関係者を批判したローリングストーン日本版6月号(2012年)については、以前にこのブログでも取り上げましたが、そこで強調された、

「大企業や国家が今いちばんヤバいのは、誰もケツを拭いていないってところ」

この話しの前に、こんなくだりがあります。

「中小企業っていうのは、良いも悪いも怒りも全部直接的なんですよ。」

そう、自分を直撃する問題に対しては皆真剣になりますよね。

(冒頭のニュースに関する話しについては、きっと問題がもっと顕在化するとガラっと状況変わるかもしれませんが、そこにはもう少し時間や検証なども必要なのかもしれませんね)

同号の、三島由紀夫に関する特集記事で田原総一郎氏のインタビューに偶然にもこんな箇所があります。

---今の政治家のことについて伺います。彼らは何があっても自分でケツを拭かない。三島が生きていたら何て言うのだろうと思うのですが。

田原:「そこは間違ってますね。そもそもケツを拭くような人間は政治家になりません。彼らは天下を取りたいんです。つまり負けることを考えていないし、敗北の美学なんて全くない。三島と政治家は水と油です。今の政治家に、彼は興味すら持たないと思います」

最近手にしてまだ読了していない本でこれがあるのですが

  • 失敗の本質―日本軍の組織論的研究

これを読むと、何か根本的なところで日本は戦前と同じところがあるのでは…と漠然と感じていたところがありました。

今回この雑誌が発行されてからのの1年を眺めながら、日本の指導層がそもそもケツを拭くような人間ではなく、負けることを考えていないし、敗北の美学なんて全くないとなると、冒頭に掲げた問題もあとから苦労するのはやはり末端の国民という話しになるような気がしてます。

フリーランスや個人経営という立場はそれこそ全部直接的な訳ですが、そこを二十数年やりくりしてきた経験から言えることは、直撃ってのは、気がついた時にはすでに遅しってこともあり、常に先回りを考えることが大事な気がしてます。

そういう意味でも、人間の力が及ばない事も想定される事態について人間は謙虚に取り組むことが大切なのではと思うのです。

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