戦艦大和の特攻出撃の決断をさせた「その場の空気」と近いものを感じる、国土交通省の原因未究明段階でのボーイング787運航再開承認
ボーイング787の問題で原因未究明段階で国土交通省が運航再開の「承認」出したことに説得性を欠くと産経新聞が報じています。記事では、大丈夫だと主張するお役人と、この状態での判断は説得性を欠くという専門家の意見を紹介している訳ですが…
たまたま最近手にした書籍に山本七平氏の「空気の研究」があるのですが、そこでは戦艦大和の出撃を無謀とするデータ、明確な根拠がありながら、その場の空気としてその出撃をは当然だと思ったという昭和55年の文藝春秋の特集で取り上げた軍司令部次長・小沢治三郎中将の発言を載せており、そこでは、このような指摘がなされています。
大和の出撃を無謀とするする人びとすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」で決められる。最終的決断を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。
そして、その後の連合艦隊司令官のこのような言葉を紹介しています。
「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の評論に対しては、私は当時ああせざる得なかったと答えうる以上に弁そしようと思わない」
そして、これまた偶然なのですが、このGWは大学のスクーリングの予定を組んでおり「人材マネジメントの考え方」という授業を選択したのですが、その中で「集団思考」に関する章があり、そこで紹介されている歴史的な事例として
- 第2次世界大戦でのナチス最高司令官によるソ連侵攻
- 1986年のNASA高官によるチャレンジャー号発射の決定
この2つが紹介されています。
集団思考の危険性としてテキストで挙げられている要素は以下の通りで
- 高すぎる凝集性
- 外部からの情報が入らない
- 専制的なリーダーの存在
- 協力なライバル集団の存在
そこに追加して考慮して欲しいと書かれた内容は
- 早く結論を出さなければならないという、切迫した状態
というものでした。
今回の国土交通省の決定が「空気」によるものだとか「集団思考」だというつもりはありませんが、日本海軍、ドイツ軍の最高司令部、NASAにしても超がつくエリート集団なだけに、
知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う
という諺があったよな~と思いながら、この国交省航空事業安全室の高野滋室長という人が、数年後に
「一刻も早い運行再開が望まれていたあの場の空気としては…」
というような談話を発表するような事態にはなって欲しくないものだと思っております。