「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者」は本当に、「権力及勢力ハ永久ニ除去」されたのだろうか?
孫崎 亨氏の「戦後史の正体」という書籍、いろいろな意味で話題になっているようです。
全部を読み切れていないのですが、その『第一章「終戦」から占領へ』の中で、防衛大学を卒業して将来制服組の幹部になりうるような人材であっても、日本の降伏文書を読んだことがないという例を紹介している箇所が気になりました。
同書の中で、当然ながら防衛大学や幹部学校で戦史を教えているという説明は加えられていますが、降伏という一番厳しい現実には触れていない事への疑問を防衛大学の教師であった著者は疑問を呈しています。
福沢諭吉の「学問のすすめ」の件でも触れましたが、タイトルはあまりに有名でありながらも、その中身となるとほとんどの人が触れたことが無いという話は沢山あり、まさにこのポツダム宣言についても同様ではないかと思います。
更に、その中身について記憶している人はほとんど居ないと思われ、もしかすると日本が「降伏」したという事について、さすがに知らないとは言わないまでも、「そうだっけ?」というようなレベルで記憶している世代も多いのかもしれません。
今が大事、昔のことをつべこべ言ってもしょうがないという意見もあるでしょうが、少なくとも芸術、アーティスト的な活動のなかで何かを表現し、時代の一部として記憶されるようなモノを生み出して行くための土台として、その辿ってきた道筋を知らないことには話にならん部分があるかと思います。
こういう想いがここ最近の歴史関係の読書に時間を割く大きな理由になっているのですが、別にクリエイティブな仕事に限らず、社会と関わっていく中で日本の民主化60数年の流れを知っておくことは労働者、経営者どういう階層であっても有用な気がします。
wikipediaに骨子も掲載されていますが、こちらでは「戦後史の正体」で紹介されている口語訳の文を引用します。(国立国会図書館のサイトでは原文を参照することができます)
今日紹介したポツダム宣言の冒頭1では、
一、われわれ合衆国大統領、中華民国政府主席および英国首相は、数億人の国民を代表し、協議のうえ、日本国に対し、今回の戦争を終結する機会をあたえることで意見が一致した。
つまり、日本が終戦とは言ってますが、相手のあることなので、あくまで戦勝国側が戦争辞める機会を日本に与えてやったんだという事ですね…
六、われわれは無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和と安全および正義の新しい秩序が実現できないことを主張する。したがって日本国の国民をだまし、彼らに正解制服の挙に出るという過りを犯させた者の権力および勢力は、永久に排除されなければならない。
これは今日のタイトルに使った部分の口語訳です。権力者という括りのほか、学者先生の戦前戦後の転向ぶりには呆れるしかないような話もあったようで、教育会におけるこの辺のトピックについては竹内 洋氏の「革新幻想の戦後史」を参考にしながら今後触れていきたいと思っています。
十一、日本国はその経済活動を維持し、かつ構成な実物による戦争の賠償の取り立てを可能にするような産業を維持することを許可される。ただし、日本が戦争のための再軍備を行なうことができるような産業はこの限りではない。この目的のため、原料の入手(その支配とはこれを区別する)は許可される。日本国は将来、世界貿易への参加を許される。
あくまで許していただくという立場だったのですね…
十三、われわれは日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつその行動における同政府の誠意について、適当かつ充分な保障を提出することを要求する。これ以外の道を日本国が選択した場合、迅速かつ完全な壊滅だけが待っている。
原爆投下という現実を踏まえると「迅速かつ完全な壊滅」とは何を意味しているのか、まじめに考えれば考えるほど、恐ろしい文章です。
グローバル化と言われる現在ですが、西洋社会のほうから見るとこういう事実があったうえで日本を見ている人たちも当然ながら存在するのだろうという想像と、ふと頭に想い浮かんだのは、「汝自身を知れ」という諺でした。
今日タイトルで使った、
参考資料
降伏文書:wikipediaより
参考文献
- 孫崎 享 2012 戦後史の正体 創元社
- 竹内 洋 2011 革新幻想の戦後史 中央公論新社
- 柳沼 重剛 2003 ギリシア・ローマ名言集 岩波文庫