昭和55年に『権力の源泉は「生産手段」の所有ではなく、「統合手段」の支配だったのである。』と言われてもピンと来なかった(苦笑)
人生を変えてくれるのは本や音楽、人との出会いなど様々な要因ありますが、アルビン・トフラーの「第三の波」を今さらながら読んで思うのは、その時代に触れることが出来なかった残念さに尽きます。
「第三の波」で語られている「エレクトロニック住宅」の予測とまったく同じとまでは行きませんがパソコンと通信環境の進化の恩恵にあずかりながら仕事を処理し、ここで語られている未来像の中で実際の生活が成り立っている自分としては、
脱工業化の話の流れ(大量生産の画一的なところから、この経済効率を維持した形での多様化が求められている現在の流れなど)は、今現在の音楽やビデオなどのコンテンツ産業も当然影響を受けている話も含まれており、こういう未来像を意識して仕事をしていなかった自分を恥じています。
「第三の波」は昭和55年に日本放送出版協会が翻訳、出版しており、これからの時代は個々人のために放送などは行なわれることになるだろうという話をどんな風に考えながら訳していたのかと考えつつ、そこから数十年を経てソーシャルメディアと連携した放送に取り組むNHKの姿をみるとこれまた想像力を刺激してくれる訳ですが、その時代を
- 1980年代アイドルブームが到来し、松田聖子、田原俊彦、岩崎良美、河合奈保子、三原順子、柏原よしえ(現・芳恵)らが相次いでデビューした。
- イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の欧米での人気がこの年日本にも飛び火。テクノポップブームが巻き起こる。
- THE MANZAI(フジテレビ、第1回放送、4月)
こんなタイミングだったようで、自分もテクノポップというモノとの出会いは人生を確実に変化させた出来事だ、、、、と妙な納得感とともに、日本はそれまでの努力を続けていた時代とは明らかに方向性を転換していた時代だったような気がしつつも、アルビン・トフラーが示した「第二の波」の限界を日本が痛感するまでにはしばらくの時間経過が必要だったように思います。
「第三の波」 で指摘されている話として、産業だけでなく、政治面の話もあり、半直接民主主義の実現可能性について考えていくことも、ソーシャルメディアがこれだけ力を持つようになった今のタイミングであれば有用かもしれません。
いつ、どんな情報に触れるのか、それをどのように有効活用するのかは当人次第ですが、音楽コンテンツや電子書籍などがiTunesやamazonなどを通じて購入できる社会に生きることになっている自分としては、この示唆の受け止め方ひとつでもその後の人生を変えるきっかけになりそうな一部分を引用してみたいと思います。
「第三の波」 P95 第五章 権力の技術者:結合する人々
十九世紀の中頃、マルクスは機械と技術、すなわち「生産手段」を所有する者が社会を支配するのだと考えた。
中略
結局のところ、支配者の地位に昇ったのは資本家でもなければ、労働者でもなかった。資本主義国家、社会主義国家の別を問わず、トップの座については、これらのまとめ役をする人びとだったのである。
権力の源泉は「生産手段」の所有ではなく、「統合手段」の支配だったのである。
日本の戦後歴史学界方面では「歴史とは現在と過去との対話である("An unending dialogue between the present and the past.")」という有名なフレーズがあるそうですが、この「第三の波」においても、私たちが生きる現在にとっての問題や課題への理解、解決を図るために学ぶことが沢山あることを示してくれており、先日までの私と同様に、名前は知っていたけど…という方には是非手にしていただきたい書籍です。