平凡な従業員がいつも非凡な結果を出せる会社ってどうやったら作れるだろう?
スタジオミュージシャンに憧れてはいたけれど、青森から上京した18のときはバンドでデビューしたいというのが夢でした。
エレキギターってやはり上手い、下手とか、早弾きなどに代表される技巧的なレベルで評価される側面が多く、地道な努力の積み重ねではありますが、結果として自分の才能や個人の腕を認められる事に人生の満足感、自身の充足感を感じ、それを麻薬的に追い求め、最後に自滅してしまうようなケースもあったりします。
会社の経営をしていても、非凡、優秀、才能がある人は確かに稼いでくれますが、その人が抜けてしまって事業が立ち行かなくなるというのでは困ってしまいます。
10代のころに、40代や50代の人間がどんな事を考え、感じながら生活しているかなんて全く予想がつきませんでしたが、自分がそういう年令になってみて、時代の流行は移り変わるし、新しい才能もどんどん出てくる、それなのに自分はどんどん加齢の症状を実感するばかりで、自分だけの才能で生き延びて行くことの難しさを冷静に見つめる時間があると、ここから先の会社経営をどんな風にするべきか…と考えています。
つい最近、自分だけが従業員と違う方法で仕事をしていれば、それは自己満足のために仕事をしているのと同じだという指摘をしている書籍に出くわしまして、
自己満足のための事業なら、誰も自分の代わりに経営することができない。もし任せられるとしても自分と同じような価値観をもった人に限られているという一文を読んだ時には、これまで自分が「これでいいのか…」と自問自答してきたところを、NGの烙印を明確に押されてしまった感じでかなり心に動揺が走ってしまいました。
会社を初めて数年したころ、世の中はホームページを作るのが当たり前な時代に以降して、小さい会社ながら仕事にも恵まれ、そこで働く人材が尖った才能をもって、仕事をしてくれることで会社もうまくまわる訳ですので、このように才能を発揮してくれる優秀な人材は当然仕事も任せられるということで、こういう人材を嫌いな経営者はいな、いでしょう。
ただ、これが仕事を任せる(委任する)のではなく、自分の仕事を楽にしたいだけで放棄してしまっているような状態だと、前述のようにこの人が抜けてしまうと会社は大変な事になってしまいます。
デザイン、クリエイティブ方面の仕事をするうえで、個人の才能は大変重要で、平準化した形でこの手の仕事を処理して、会社を経営していくことが本当に出来るのか、いままさにチャレンジを開始したばかりで、疑問や悩みが山積してますけど、
非凡な従業員に依存した事業では、長期的に安定した結果を出すことの難しさをいま痛感している自分がおり、非凡な従業員がいないことを前提として、平凡な従業員がいつも非凡な結果を出せる会社に移行できないか暗中模索している状態です。
どうすれば個人の能力に頼らなくてもお客様の期待を満たすことができるのか?これをいろいろ考えて、最終的に考え抜いた結果が個人経営という事もあり得るかもしれませんが、自分の成長と衰えの両方を感じるような歳になっただけに、この問いはもう少し時間と手間を掛けて答えを出していきたいと思っています。
今日書いた内容についてはこの書籍に書かれていることを参考にしており、文章の一部使わせていただいております。