補助金をもらっても立ち上がらない日本の電子出版はだめなのだろうか?
2年前の電子書籍ビジネス立ち上がるか?という元年騒ぎと、一昨年、そしてイマイマですと、制作事案の単価や量で大きな違いがあります。
緊デジやら、kobo、その他電子出版プラットフォームへのコンテンツ流通のために大量な制作事案が発生していると思われますが、電子書籍元年と言われたときに自分が期待したのはepubというオープンなフォーマットがネットというものが出てきて世の中が変わった時と同様に変革を与えてくれるのでは?というところにありまして、そこから想像していたのとは今見えている光景はかなり違っています。
出版への取り組みのハードルがとても低くなることで、自分たちにも新しい取り組みができるかも…と思いつつ、epubの雑誌販売、日本独自コンテンツの海外向け販売など、今も新たな可能性へのチャレンジは続けていますが、なかなか思うような結果が出せていない厳しい現実あります。
ただ、先日ちらっとこの記事を見かけて、
確かに聖書を全世界に向けて配布するのが目的な場合、電子書籍がソリューションとして機能していることを知りまして、その結果としてスマホ向け聖書アプリが6500万ダウンロード、144言語に対応していると聞くと数そのものも凄いですが、電子対紙みたいな考え方はしなくても良い分野はやはり存在したんだなと思いました。
そして今日、日本電子出版協会の「たとえ補助金をもらっても電子出版はやりたくない」という刺激的なタイトルの記事を目にし、その中にも聖書に関する記述が出てきたのでご紹介しておきたいと思います。
◆昔「聖パウロ女子修道会」がJEPAの会員社になったことがある。「修道会がなんでJEPAなんですか?」と失礼な質問をした。答えはこうである。
「私たちは主の御言葉を伝えるのが使命です。伝えられるのであれば紙でも電子でも問わないのです」。
長いことJEPAをやってきて、電子出版に対するこれほどストレートな意見を聞いたことがない。紙で出版するのが有効なら紙で、Webのホームページが有効ならWebで御言葉を伝える。同修道会は今もそうやって活動している。もうePubを出しているかも知れない。
今年の夏、某大手出版社の代表が、「(補助金をもらっても)電子出版が立ち上がらないのなら、もう日本の電子出版はだめでしょう」という趣旨の発言をしていた。真意は不明だが唖然とする発言だ。
それから数ヶ月、「緊デジ」のありさまを聞いて、同修道会の正々堂々とした回答を思い出した。出版もそうありたいものである。
自分はビジネスとして取り組んでしまっているので、売上なり数字の部分と向き合う必要ありますが、今日のエントリについては業界に足突っ込んでいるから良いこと言うわけではなく、「伝えるのが使命」な人たちにとってePubなりの電子書籍フォーマットとネットを通じたコンテンツ配信が有効に機能している現実がこのように在るわけですから、紙との比較に終始するとか、何かにつけて電子書籍がダメとかいう話をする必要が無い”領域がすでに存在するんだ”ということに気づかせてもらいました。
そして引用部分最後にある
某大手出版社の代表が、「(補助金をもらっても)電子出版が立ち上がらないのなら、もう日本の電子出版はだめでしょう」
この言葉が意味するところを自分なりに考えつつ、日本と限定する必要があるのか、ないのか、とりあえずこんな事が出来るんだという例を今後eBookProのほうで示していければと考えています。