オルタナティブ・ブログ > 平凡でもフルーツでもなく、、、 >

感覚人間の思いつき、、、気になった記事、、、雑記等

動画投稿問題の高校校長、ネットの恐ろしさを痛感しなければこの問題はどう処理するつもりだったのか?

»

生徒間の暴力行為を撮影した動画が、動画サイトに投稿され一般の知るところになってしまった事件が報じられ、校長が「改めてネットの恐ろしさを痛感した」と話したという事が見出しになっています。

この発言について学校側の調査によると、関係した生徒らは暴力行為やネットへの投稿の事実は認めた。しかし、いじめではなく、人間関係を巡るトラブルを解決しようとした中での暴力行為だったとしている点が、やはり学校側は意地でも「いじめ」があったことを認めないつもりなのか…と驚きの声を上げている人がいらして、わたしもそこは同意見。

ニュース全体として、投稿された動画が拡散してしまい、元ファイルは削除したけど回収不可能に…

そして投稿した生徒自身も精神的なショックを受けてしまい、やっぱりネットは恐ろしい、、、カウンセリングやリテラシー教育が必要って流れで書かれているのですけど、

ソーシャルメディアでは犯罪自慢からの炎上が続いているという話に触れた際に、濱野智史さんの

「日本は飲酒運転とか、すごくどうでもいい道徳的な問題にしか匿名性の力が使われていない、という問題がある」

この指摘を紹介させてもらいましたが、こういう動きがある一方で、こういった暴力行為の証拠が残っているにも関わらず学校側の「いじめ」を認めない、うやむやにしてしまう体質に大きな問題を感じます。

そこまで教育側はいじめの存在を認めたくないのか…と思った事件は、つい先日裁判で両親の訴えが棄却されてしまった岐阜県瑞浪市の事件、

この事件ではいじめがあったことを認めて校長は一度謝罪したにも関わらず、その後に「意識がもうろうとしていじめを認めてしまった」と校長は前言を撤回したという驚くべきエピソードがありました。

こちらの事件では損害賠償を求めた裁判で、裁判長は「遺書の記載を含む原告の主張を考慮しても、被告生徒らによるいじめ行為の存在を積極的に推認させる事実はない」と訴えを棄却、

両親側の弁護士は「暴力ならば診断書があるが、精神的ないじめは客観的な証拠が乏しい。その特殊性を裁判所に考慮してもらえなかった」と指摘、一方、被告側の弁護士は「妥当かつ当然の判決。教育委員会の無責任な対応とともに、一方的な報道を繰り返し、同級生4人の名誉と人権を傷つけた一部マスメディアについても厳しく総括、批判されるべきだ」とコメントを出したようです。

学校側が「いじめ」を認めるかはその後の責任問題があるからでしょうが、冒頭の校長「今回ネットにさらされた個人情報について、学校の対応がさらにネットでさらされることが予想され、肯定、否定を含め情報発信を控えてきた」と記者会見の場で語ったようですが、事件が繰り返される中で、学校側はその考え方や対応方法をやはり変えるべき時が訪れているのではないでしょうか。

Comment(0)