どんなダメ親でも1mmくらい成長できそうな瞬間
同じ業界で仕事を10年~20年続けていくと、良い意味でも悪い意味でも大方の流れが見えてきたりして、新人なりまだ経験が浅い人に対し経験者として指導する場合ですと不思議と自分の失敗を踏まえつつ、比較的前向きにアドバイスできていると思うのですが、
自分と似たようなところで失敗する人と出会ったときに感じる感情は様々なモノがあると思うのですけど、自分の子供に、どうしても自分の性格・素養の中で「ここがもっとちゃんとしていれば…」という痛恨の弱点が一緒の場合、どうアドバイスしてよいものやら本当に悩んでしまいます。
やはり親の立場として放っておく訳にいかない場面もありますから、自分の事を棚に上げそれらしい小言を言っている瞬間の居心地の悪さ…ほんと辛いものがあり、他人の振り見て我が振りなおすという諺ありますけど、自分自身が克服できていない弱点について子供を叱ったりするのは、まあ完全な人間は居ないんだから…という意見を理解しつつも、やはりしっくり来ないモノがあります。
ただ今回思ったのは、人間が新しい事に組んで一定の成果を挙げるとか、これまで3日坊主で終わっていたことが何かしら習慣化するレベルまで自分の意識や取り組みに変化を与えてくれるのはこういう居心地の悪さだったりするのではないかと…
人生80年と考えて、半分とちょっとを過ぎた所にいますけど、今振り返るといろいろ後悔する事が両手両足で数えても足りない数あるのは人生の常と思いますけど、この時期の年齢って自分の嫌いなところをリカバリーなり決着つけていくかどうかの最後のチャンスのような気がします。
人間良い所、得意なところを誉めて伸ばしていくという考え方に反対しませんが、自分の至らないところと向き合って克服していくことがもしこれからでも出来たなら、それはそれで大きな自信に繋がると思いますし、今そこにトライしておかなかったことでこの先70とか80過ぎてやっぱり後悔している自分と付き合うのは勘弁かも…って思ったり。
何かしらの序列がついてしまう社会の中で完全無欠な人間など居る訳もなく、ある意味人生経験の中での挫折や失敗とどう向き合うかが「人生」って話しになると思うのですけど、まさにこの40代中盤から50代前半のあたりって最終的な人間形成にとっても大きな影響を及ぼす時期だったりしないかなと思案しつつ、子供を持つことの意味深さを考えた肌寒い夜だったのでした。