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あなたの技術・才能はもう機械で代用できるからいりません…となったら耐えられますか?

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週刊文春の山崎努「私の読書日記」の中で島森路子インタビュー集の「敗北力」について取り上げていて、そこには太平洋戦争での負けの受け入れ方への考え方が取り上げられているのですが、そういえば自分が好きなテレビドラマシリーズDr Houseでも主人公は良く「人生は惨めなものだ」という台詞を吐いていたりして、こういうフレーズとかに出会った時に自分もいろいろ小さい時に親がしてくれたアドバイスに従わなかった事への、これで良かったんだ…という自己説得と、失敗したかも…という両方の感情が当然入り交じることになる訳です。

自分の生活をどの基準で評価するのかにもよるのですけど、らばQでこんなニュースが取り上げられていましたが皆さんご覧になりました?

この中で、基準の考え方でコラムニストのこんな指摘がされています

「ノーベル賞受賞の経済学者までが日本の経済がどれほど落ち込んでいるかという書き方をしていたからで、数値で見るといったい経済学者というのは、どういう状態なら経済的にすばらしいと見るのか、いったい経済とは何なのか」

ふむふむ、確かに、どういう状態なら素晴らしいのか…この辺が明確じゃないと話はエンドレスでループして、だいたいはハウリングを起こしてしまう訳ですね。

今日の本題に入るまえにこちらの記事で気になった海外の方の指摘を少しピックアップしてみましょう。

・皮肉を言うつもりはないが、僕も3ヶ月日本で観光ビザで過ごした。君と同じ理由で日本が大好きになった。そのあと3年日本で働いたら、日本が大嫌いになった。8年前のことだがそれ以来日本に行ってない。日本には2つの面がある。

・この8~10年で相当変わったよ、もう一度訪ねるといいよ。日本を嫌う・好くという段階でいうとそれはまだステージ2だ。ステージ1は観光で行って、みんなが親切で大好き。ステージ2は日本で働く経験をして日本の腹黒い部分が見えて日本人社会の裏面を知るんだ。

・記事に書かれているのは真実だ。住んでるけどかなりすごい。それはみんながまともな給料をもらっていて、どんな職業も尊いと思われてることだ。電車の掃除夫さえきちんとした給料をもらっている。
 理由のひとつには企業のトップがそこまで強欲ではないからじゃないか。みんながまっとうな金銭感覚を持っていて、何億円のボーナスをもらうことが最悪だと思っているからじゃないか。富はかなり公平に分配されているので中流クラスが大きく安定している。この中流クラスが犯罪を減らしていてるので、誰もハンドバッグをひったくって逃げようとか誰かの財布のためにナイフを出したりしない。

・日本にいる間に不思議に思ったのは、みんな自分の仕事にプライドを持っているってことだった。それもどんな仕事にでも。ここフィンランドでは日本のように最低な仕事にでも良い給料を与えるけれど、人々は良い仕事だとは思っていない。むしろ恥じている。

ふむふむ、確かに表面的には親切なんだけど、体面を大事にする傾向は確かにあるような気がします…振り返って、その社会制度の運用の仕方においても体面を重んじるというか、エリート層が上手に作り上げ、そのレールに乗っかっている人たちには安泰の人生が開けるような仕組になっているような気がします。

既存のシステムに従って、その役割に応じた見返りに満足できる人たちにとっては非常に安定した社会システムが戦後作り上げられてきた訳ですが、ただこれは学歴主義とか、新卒主義など、レールを外れない生き方をしてきた人たちや、一部の社会的地位がすでに備わっている家庭に生まれた人たちに許された社会資本の分配方式であり、

たたき上げ、成り上がり、一度はドロップアウトしたところからの這い上がり、など既存の枠組みから逸脱してしまった人が再チャレンジしてポジションを取ろうとすると偉く窮屈な社会と感じるはずで、この辺が外国人の感じる仕事を日本でやってみたらこの国が嫌いになった点だったり、腹黒く感じてしまうところに重なるのではないかと思ったりするのです。

日航の整理解雇についてマスコミの論調は、「夢絶たれ深まる絶望感…」とか「悪夢の中へ」など、その当事者の立場を思いやる方向での取り上げ方が多いですが、副操縦士の仕事を転職して続けていくのは確かに非常に困難で極端な言い方をすれば

特殊な職業だけに、辞めたら他の職種においては、何の取り柄も無い自分

という現実と向き合い、下手するとみじめな人生と向き合う必要が出てくる訳です、

現在の日本で、仕事や待遇の面でもっと評価されても良いと思われる、個人、会社はもう星の数ほど沢山あるわけで、その中で苦労している人たちからすると今回のJALの件についてもいろいろ厳しい意見が続出するような気がするのですが、自分の周りで考えても

カメラマン、グラフィックデザイナ、ドラマー、こういった職種の人たちが時代の流れのなかで、いかに卓越した才能をもっていてもデジタル化でそれまでの職人技が簡単に誰もが代用できるようになり廃業を余儀なくされてしまった例を沢山知っています。

一定以上の身体能力と、芸術的な感性を併せ持って生まれて、それを職業として活用できるところまで努力をしたのに、あなたの技術・才能はもう機械で代用できるからいりません…となったら耐えられますか?それもこういう仕事はサラリーマンではなく、ほぼフリーランスで、仕事な無ければ収入ゼロの職種な訳です。

自分の才能が不要だと社会から宣告されたらそれはかなり残酷な話ですが、人生はそこで終ってはくれません…自分も楽器を演奏をする仕事から紆余曲折を経て現在のようなかたちになり、そしてこれからも食べていく方法を考えて、実際に生き延びていけるように行動しなくてはいけない現実があります。

破綻しかけた会社でも、そこは天下の日航で、国やら銀行がお金を出してくれるから、しがみついていないと損なのかもしれませんが、日本ってほんと規定路線から外れてしまうと救いようがない社会だって皆が感じているからこういう話になってしまうのでしょうね…

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