感謝の言葉はパソコンが自動入力しているご時世…
本屋さんに行くと一番目立つところにはやはりビジネス指南書、自己啓発系の書籍が並んでいますけど、ちょっとその横に目をやると仏教系の書籍が並んでいて、「小池龍之介」という名前だけは以前から見聞きしていたのですが実際に書籍を手にするのは今回が初めてで、この連休に「考えない練習」という書籍を読んでみました。
仏教的な教えについて今回は触れませんが、話題の取り上げ方として鋭い…と思ったのはこちらの一節。
第2章 身体と心の操り方
1 話す
現代の日本に蔓延する「ありがとう病」は心を歪ませる
心底感謝している時に素直に「ありがとう」というのは、言う側も言われる側も心地よいというところから始まり、
思ってもいない事を言うのは、言う側も疲れるし、聞く側にも、そのしらじらしさが伝わってしまうんだけど、常に心の中で「ありがとう」と唱えていれば幸せになれるとか、感謝の気持ちを持ちましょうと教える宗教や本に事欠かないと、本書は指摘していますw
それを無理矢理信じて実行しようとするから、
怒っていても「ありがとう」
攻撃されても「ありがとう」
普通なら怒る場面でも「ありがとう」
何があっても「ありがとう」
と言っているの、口で言っていることを表現が相反し、不気味な印象を与えてしまう。
何より、「ありがとう」と思ってもいないのに「ありがとう」と思うのは嘘であるから、心が歪むだけである…
そして、心のこもっていない「ありがとう」を連発することで、周りの人に「この人は感謝していなくても、とにかくありがとうと言う人なんだな」と思われてしまう状況に陥るだろう…と
仏道において、人が幸せに生きていくための感情というのは「慈・悲・喜・捨」の四つらしいのですが、この中に感謝にあたるものは無いらしいのですね…「ありがたい」というのは文字通りの、なかなかありそうにない、有り難いことだから。
この後、当然ながら感謝をする必要がないという話ではなくて、本当にありがたい、感謝したいと思った時に、素直にタイミング良く口に出せることが一番だと本書は説いているのですが、時に会社組織においては社交辞令的な感謝も必要とされるだろう…と実生活の場面に踏み込んだ解説がなされているのがこの著者が人気があるひとつのポイントなのかなと感じた次第。
そして具体的なアドバイスとして、「ありがとう」という言葉を使わずに感謝の意を伝える工夫をしてみる事を勧めていてその副次的な効果として、定型化していない言葉を選ぶ工夫をすることでそうやってオリジナルに工夫して考える分、頭も冴えてくる。相手の何がどう嬉しかったのかを思い返すことで言葉のバリエーションも増えていくと…
この章がなぜ気になったかというと、これを自分が納得して取り組むならOKですけど、この方式を会社に持ち込もうという勇気はなかなか持てないのかと…(苦笑)
それはなぜかというと、イマドキは「ありがとう」を言うどころか、反応がちゃんとあるかどうかの時点で困っているケースもありますし、メールの挨拶文とかも定型化されて
「あ」と打ち込めば「ありがとうございます。」が自動で入力、
「お」と打ち込めば「お世話になっております」で
「よ」と打ち込めば「よろしくお願いします。」でメールの書き終わり…
なんていうのは普通で、新規にメールを作成したときに、それなりの形式の挨拶文と書名が書かれた書式を利用している人もそれなりの数いると思われ、そもそも感謝の言葉はパソコンが自動入力している…というご時世ですから、そこにこういう話をしても定型化していない言葉を選ぶ工夫のは手間が掛かるだけ…と片付けられそうな予感がするんですよね(苦笑)
仕事に対してのマインドにもよると思いますが、人間的な成長、もしくはブログとか文章を書いていくうえで、「定型化していない言葉を選ぶ工夫」というのは取り組む価値があるように思うのですが、自分の場合これを他者に伝えるところの修行がまずは必要なようです…(自爆)