「頑張る」というワードは、いつから忌まわしい単語として扱われるようになったのか…
「頑張れ」とかそういう事を気軽に発してはいけない…という話をここ数年良く見かけるような気がします。
自分は意味不明なスパルタ教育がまだ少し残っていた時代の最後を経験した世代で、前述の話は何となくわかるような気もするけど、う~~むどうなんだろう…と全面的にこれを受け入れる事には少しだけ疑問があるというのが正直なところ。
もう少し具体的なところで話を紹介すると、仕事を明らかにサボって何もしない…というのはある意味潔いというか、まあ何もしていないなら、別な人に任せてしまうことで物事解決したりして話が早い事もありますよねw
部下の指導をする、グループをまとめる、会社を率いていく…まあいろいろありますけど、ここ最近よく目や耳にするのは、リーダーの側に問題があるという指摘がほんとんどな印象があるのですが、これ自分の場合被害妄想入ってますかね…(苦笑)
ド新人ならともかく…というか、伊達に経験がある人だと言い訳やら、出来なかった理由を組立てるのが上手くなってる場合がありませんかね…
怒られないために仕事をちゃんとやる、というのは本来の姿とは違うかもしれませんけど、会社なり、何かしらの集団で決めたことを守らないことを、何かしらの理由で正当化させ始めると、どんどん「やらなくてもOK」な事が増えてしまう危険性をはらんでいますよね。
大人の場合始末に困るのは、経験があればあるほど本人にはプライドがあり、「自分としては精一杯頑張っていて、取組はちゃんとしている…」という返事をもらうと、一応問題が深刻な状態でなければ、本人に任せるでしょうし、何かしら具体的なアドバイスをしたとしても、経験があることが邪魔してしまい、自分流を貫いてしまうのは経験者特有の問題点ですよね。
最近痛感したのは、「自分としては頑張って取り組んでいる」という主張をしている人は、アドバイスを受け入れる気がほとんどない…という事。
本人も頑張っていると言っているし、ちゃんとやってくれるだろうと思っていると、それはあくまで本人の思い込みであり、そうあって欲しいという願望だったりした場合は最悪で、「頑張っている」のが結果が出ていない事を正当化するために用いられ、結果を出すために適切な対応をしているのとは、これまた話が違う場合があるということを知りました。
大きな会社であれば配置転換とかも可能かもしれませんが、中小・零細会社でこういう話が起きるとほんと会社が傾く大事に発展しかねず、今日のまとめとして2010年のイマドキにおいて、「頑張る」というワードは、無意味に相手を励ます事に用いる場合の危険性だけでなく、言う側、言われる側双方にとって危険なワードなのかもしれない…と書いておきたいと思うのでした(苦笑)