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「傷つくことなしには正義は行えない」というアンパンマンのエッセンスについて自問自答してみる

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アンパンマンの歌詞「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのは いやだ!」が深すぎる件については、山口さんからこれまた深い洞察コメントをつぶやきのほうでいただきまして、そこからたぐっていくと、2年ほど前に書かれたやなせたかしさんの生き様を紹介、沢山のブックマークを得ているモノに行き当たりました。

ほんと自分の場合には人との出会いに助けられていると思うことが多数あるのですけど、今回のアンパンマンの歌詞を起点に、1919年2月6日生まれのやなせたかしさんがアンパンマンを世に出したのが1973年だという事を知り、

それまでの活動の中では「漫画家の中では相変わらずランクは眼にも見えない下の方で、相撲の番付で言えば序二段ぐらいのところだ。」というような時期もあったようで、この言葉が今の自分にはとても大きな意味をもって語りかけてくるものがあります。

同時期に立ち上げた「漫画家の絵本の会」という同人サークルが与えた影響なども伺え、こういう所を含め自分が信念をもって取り組めることと、それを地道ではあっても形にしていくこと、そして賛同してくれる理解者を得るという、これまた当たり前ではあるけど、結果が出た人の定番とも言える活動のそういう意味では年齢に関係なく続ける事の重要性を噛みしめる事となり、

これまた定番な話ですが、最初のうちは世間になかなか認められないというパターンも見事にアンパンマンも経験しているようでして、こんな記述が個人的にはズシンと重くのしかかってきました。

初期の絵本のアンパンマンは、顔の全てがすっかり食べ尽くされることで、ようやく新しい顔を得ることが出来ます。

文化人類学者の出口顕は、これを「自らの死と引き換えに、または命を賭けてその一部を与えて他者の命を救う、臓器ドナーと同様のことを実践している」と読み、このことが、傷つくことなしには正義は行えないという作者の主張であり、アンパンマンのエッセンスだと解釈します。

当初アンパンマンは、あまり世間から受け入れられませんでした。もともと幼稚園・保育園に直接販売される直販本で普通の本屋に出回りませんでしたし、出版社からは「アンパンマンはもうこれっきりで」といわれ、幼稚園の先生からは「顔を食べさせるなんて残酷」と怒りの手紙が届き、絵本評論家からは「子供はこんなくだらない絵本を読んでも面白がらない」と酷評される始末。

そして子供には向かないとされたアンパンマンを見出したのは、皮肉にも二歳・三歳の子供たちだったと…

アンパンマンのエッセンスについては、チンパンジーは利他行動なるものを身につけていると先日NHKのニュースで流れていたことをこれまた思い出しながら、ほんと自分の周りを情報がいかに絶妙なタイミングで巡っているのかをこの例からも学びつつ、こちらのエントリを読みながら、傷つくこと恐れていて前進できない自分の姿を目の前に引きずり出されたような感じがして、いろいろな意味で反省しているのでした。

なんのために生まれて、何をして生きるのか

答えが見つかる性質の話ではないですけど、まずは自問自答からスタートですね…

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