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親の収入高いほど子供は高学力!? でも文京区は収入4位ながら学力首位だったりするらしいですよ

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親の収入レベルが高いほど子どもが高学力って調査結果がまとまったというニュースを昨日いろいろなところが伝えていましたね。

文科省の委託を受けたお茶の水女子大教授らの研究グループが、全国の5政令市の小学校100校を対象に保護者約5800人にアンケート、昨年4月のテスト結果との関係を調べた結果ということで、これを、収入に応じた教育費を投じているのだからこういう結果になるよな~という考え方、教育は大事だからこういう格差が生じてはいけないって考え方などなど、いろいろなご意見あるかと思うのですが、

日本においては学歴差は明確な差として存在しますが、高卒でも結構なんとかなるもんだ…という話と、塾とかそういうところへの投資だけでなく文化的な側面も含んだ教育がやはりとても大事だろうという事で、

大学全入時代とは言え、実際に毎年18歳が全員大学に進学することは無いわけですけれど、このような収入格差と学力の差があったとしても、とにかく大卒の資格をもっているか、いないかの差のほうが、その中でどの大学を出たかの差より大きいという考え方を、これまでこちらのブログで数回取り上げている増田悦佐氏の「格差社会論はウソである」では見ることが出来、参考意見として、現在の日本において決定的な格差は、大卒/非大卒間の学歴居回線であると、吉川徹氏の「学歴と格差・不平等ーー成熟する日本型学歴社会」の著書からも引用をしながら解説をしています。

ただその差においても日本は少し特殊で、

  • 大卒と非大卒であっても欧米とくらべその収入格差は2割強程度と少なく、
  • 高卒でも100人~999人規模の会社に就職した人の生涯賃金が2億1366万円で、
  • 10人~99人規模の企業に就職した大卒の人の生涯賃金2億0661万円よりも3.4%高いと指摘、
  • その他のデータを含め、結論として成長性の高い企業に入った人はたとえ高卒でも成長性の低い企業に入社した大卒とほぼ同様の給与を得られるようになっている

と、このような数字を交えながら日本の階級再生産機能が摩滅していると指摘しています。

今回の調査で判明した学力差が大学進学が見込めないほどの深刻な格差であれば、それはそれで問題だと思うのですが、実際に社会に出て働くという観点だったり、人間的な成長という視点から見た場合に、文化資本という観点から毎日新聞が触れているこの内容

また、親自身の普段の行動を尋ねたところ、高学力層では「クラシック音楽のコンサートに行く」「お菓子を手作りする」などの回答割合が高く、低学力層では「パチンコ・競馬・競輪に行く」「カラオケに行く」などの回答割合が高かった。

増田悦佐氏は「格差社会論はウソである」の中で、川崎昌平氏の『ネットカフェ難民ーードキュメント「最底辺生活」』からここを引用しているのですが、

格差はすっかり社会に定着した言葉となった。だが、誤解されている。本当の格差とは、文化にこそ現れている。お金がある人とない人とがいるから「格差」なのではない。より多くの文化に触れられる人間と、そうでない人間の差が、本当の「格差」なのである。前者は多様な価値と解釈を学ぶことができる。後者に選択肢は少なく、強いて言えばマスメディアが用意してくれたものを咀嚼することができる程度。だが自分の意志で出会っていない文化の効用は薄く、意義はもっと薄い。

今回の調査では”親自身の普段の行動”という事で、子どもに体験させているという事ではないようですが、様々な体験を通じて個々人の文化資本の基礎が形成されていくとすると、これからの日本を担う人たちに、より有用な体験をしてもらうための施策という事も重要なのではないかと思うのでした。

あくまで推測ですが、選挙の公約の中で非常に多額の予算が使われるかもしれない項目としてこんな記事が出ていました。

なにやら高校教育が義務教育化しそうな勢い感じてしまいますが、前述の調査結果は、

格差は良くない~学力向上と貧富による教育格差の同時解消~巨額の税金投入

こういう流れを作るための布石だったりするのでしょうかね。

P.S.
尾木直樹さんという方の「新・学歴社会がはじまる」という著書の中に東京23区1人あたりの給与所得と学力順位の表があるらしく、その中で都内の文教地区として有名な文京区が給与所得では4位だけど、学力では首位を達成しているデータが見られるらしく、まずは収入よりも親の取り組みなんだろうな~と至極妥当なことを思ったのでした(苦笑)

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