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「手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う」から、ドリカム吉田美和の「ユーミンを追い抜く」発言を思い出した

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手塚治虫はそんなに凄い人じゃないと思う」から派生して、松下幸之助、黒澤明、「Apple II」にビートルズ等々いろいろな改編版があるようで……

ある意味自分の恥を晒すようなエントリになるので躊躇する部分もあったのですが、自分もあと何年早く生まれていれば…的な事は考えた事正直あります(苦笑)あと、こういう環境であれば…とか、あと一番しょうもないのはもっと才能があれば…ですけど、これについては今回の話とはまったく論点違うので捨てときましょう。

自分としては音楽業界における大御所のリバイバルブームとか再結成ブームに対して懐かしさやそれを楽しみたいという気持ちと、全てではありませんけど、どうも往年のファンからお金をむしりとっているようなキャンペーンも見受けられるような気がしています。

その業界において食べられる人の数は定数があるわけではないですけど、ある程度のポジショニングがされていて、後から来た人が食べられるのはやはりどんどん条件厳しくなりますから、レコード会社がまずは売上確保って観点で売れる見込みの少ない新人でギャンブルするよりも、ある程度有名になったアーティストで商売したいとか、ベスト版で稼ぐという手法は昔からありますし、その過程においては過去の栄光や偉業といわれる部分で伝説を作り上げたことはこれまでもあったでしょう。

文化に偉人は付き物だもんね。マンガにも歴史があるれっきとした文化なんだぞと、業界ぐるみでその雰囲気を盛り立てていくために、手塚治虫を利用してきたところはあると思う。

↑こういう傾向はいまでもあり、クリエイター個人というよりも、世間的な露出の手法の中に?が浮かぶ事は自分も良くあります。

たまたま、わたしがドリカムのバックバンドの仕事をさせていただいた時代、やはりユーミンが大御所として存在しており(現在でも当然そうですが)、デビュー間もない無名バンドの吉田美和が「ユーミンを追い抜く」ということをいろいろなところで発言、それを応援してくれる人、鼻で笑う人、いろいろな人がいるのを現実に見るという貴重な体験をさせてもらった自分としては、表現者が何かをやり遂げようとおもったときに、仮想敵としてこういうモチベーションで望むというのは有効、ただそれなりの誤解も生むのでそこと本人が向き合ってく覚悟があるかどうかの問題かと思うのでした。

「手塚治虫を超えるクリエイターが居てはならない」という暗黙の了解があって、評価されるべき人が永久に手塚治虫の上に来ることが無いなんてことはあってはならないと思うんだよ。メジャーで活躍するほどの選手が今更「かねやんサークル」に表彰されても嬉しくもなんとも無いだろ?だけど当のかねやんサークルは組下に収めておきたいわけ。そういう空気が漫画界にあって欲しくないの。

↑これも確かにそうなのですが、実際のところとして戦後復興期から高度成長期にアーティストの才能がレコード会社などの発展に具体的に寄与している場合、○○さんのあのアルバムで立てたビルとか、△△ちゃんビルというような別称があったりするような業界ですので、多分出版方面の業界においてもこの辺の評価要素があるでしょうから話の着地点としてはなかなか難しいところありますよね。

エントリの冒頭で自分ももう少し早く生まれていれば…と思ったことがあると書きましたが、ドリカムがデビュー20周年で現在のポジションをちゃんと確保したことを自分なりに考えてみると、やはりやる奴はどんな状況でもやってのけるんだよな…と自分の実力不足を痛感し、そのときの失敗から学んだことを出来るだけ今は良い方向に昇華していきたいと頑張るしかないんですよね、自分の場合……

バックバンド在籍当時にもアルバムセールスの話で盛り上がることは当然ありましたけど、オリンピック競技のような数字の勝負だけをしているわけじゃない…という話もいろいろな場面で交わされていて、駆け出しミュージシャンとしていろいろ勉強させてもらった記憶があり、なので評論ではなく現場としてはバンドメンバーが目指す音楽をどのように世に出していくのかがやはり最重要課題だったと思うんですよね。

デビュー間もない頃とか当然無名の頃に受ける仕打ちってのはひどいのが多くて、その辺の体験がトラウマになっているのか自身が成功した際に序列などに拘る方も当然いますけど、当ブログ定番の終わり方で恐縮ですが、

自分の場合は、やはりどういう形で自己実現しているかのほうが重要なファクターだよな…といつもの立ち位置に戻ってきてしまいました(苦笑)

参考記事

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